Make your own free website on Tripod.com


====================


1987年7月30日

「プロレス」雑感



  もう二十年以上も前に死んだ祖母が一番好きだったテレビ番組は、「お笑い三人組」でも、もちろん「シャボン玉ホリデイ」でもなかった。その番組が放映される夜だけは、持ち分の家事を早めにすませ、祖母はテレビの前に座り込んで時間が来るのを待っていたものだ。
  「プロレス」だった。

  何故か早く目覚めてしまったロサンジェルスの朝、観るともなしにぼんやりと眺めやっていた「プロレス」番組が、そんな祖母の小さな後ろ姿を思い出させてくれた。

  当時「ローン・レンジャー」を観ても「スーパーマン」にチャンネルを合わせても時おり、いかにも感嘆したように「この頃はアメリカ人も日本語が上手いもんだね」と、吹き替えということが理解できなかった祖母は、思えば随分素直に主人公の活躍に声援を送っていたものだ。
  だが「プロレス」の場合は違った。ここではすべての「アメリカ人」なるものは、祖母にとって、大仰に言えば憎悪の対象であり、なんとしても打ち負かさなければならない相手だった。遠藤が、東富士が、豊登がマットに捻じふせられただけで相手の「アメリカ人」が鬼に見えた祖母が、あの力道山が血まみれにされてしまう場面でどれほど口惜しい思いをしたかは想像に難くない。

  確かに、これら憎き「アメリカ人」レスラーたちはリング上で、いかにも卑劣に闘って見せた。彼らがくりだす「反則技」はとてつもなく効果的で、勝利目前の力道山を何度も、瞬時に絶体絶命のピンチに送り込んだものだった。
  しかも、卑劣な技で勝ちを得た「アメリカ人」レスラーは−おそらく祖母には重大な意味があったはずだが−まったく日本語を喋らず、リングの上で訳の判らないことをただただ叫び散らすだけだったのだ。
  これでいつかは力道山がチャンピオンベルトを手にするのでなければ祖母も「プロレス」番組への興味を失っていたに違いない。いや、それどころか、口惜しさのあまり心臓発作でも起こして、もっと早く他界していたかもしれない。
  そんな時代だったのだ。

  さて土曜日の朝の、こちらの現代の「プロレス」の展開はこうだった。
  その「アメリカ人」レスラーは圧倒的に優位な試合を闘っていた。もう誰の目にも彼の勝利は明らかだった。彼は山のような大男というのでもなく、しかもフェアープレイに徹していた。
  この技で最後のフォールに持ち込もうというとき<事故>がった。大技をかけようと相手の「日本人」レスラーを抱え上げたとき、はずみで格闘に巻き込まれたレフェリーがリング上に昏倒してしまったのだ。「アメリカ人」はその間に例の大技を決め「日本人」をみごとにフォールしたのだが、なにしろカウントすべきレフェリーはリングの反対側に倒れたままだ。「アメリカ人」レスラーは自分の勝利を訴えるが、聞いてくれるのは観客だけだ。
  やがて、息を回復した「日本人」は、タイツの中から何やら白い粉を取り出すと、その粉を卑劣にも−忍者もどきに−「アメリカ人」レスラーの顔に投げつけた。もんどり打って倒れ込んだ「アメリカ人」は目を押さえてのたうちまわるばかり。「日本人」はここぞとばかりに「アメリカ人」にのしかかり−体力的にはまだたっぷり余裕があるはずの−「アメリカ人」を逆にフォールしてしまった。「アメリカ人」には不運なことに、ちょうどこのとき意識が戻ったレフェリーは、実にすばやくカウントをすませ「日本人」の勝を宣してしまった。
  英語が喋れないのだろうか、その「日本人」はニタリと笑うだけだ。

  平凡な、いつでも見られる「プロレス」ならではのあの展開だ。二十数年前に祖母が愛したあの「プロレス」も「アメリカ人」と「日本人」を入れ替えれば、大方こんな筋だったはずだ。あとは、判定に納得のいかない「アメリカ人」が、昔力道山が「アメリカ人」を相手に試みたように、「日本人」に殴りかかり、せめて一泡吹かせてやれば一件落着、ショーはそれで終了するはずだった。
  ところが、この土曜日の朝の「プロレス」はこの詰めのところがいささか異風だった。判定に納得できずに怒り狂ってリングに飛び出したのは、本来この試合には何の関係も権限もないほかのレフェリーだった。この勇敢な<正義>のレフェリーは観客の大声援の中で「アメリカ人」レスラーの手を高々と差し上げて見せたのだ。

  アメリカ人はこのごろいったいどうしたのだろう。
  何故レスラー自身の怒りに満ちた最後の逆襲を演出しなかったのだろうか。最後の瀬戸際で観客の同情を乞うだけで、自ら逆襲もせずに<正義>の「レフェリー」の登場を待つというのはもう「プロレス」の名に値しないのではないだろうか。
  あの祖母ならこんな「プロレス」は観ようとはしなかったはずだ。

  まだまだ余力があるにもかかわらず、自らの産業の底力で逆襲しようとするのではなく、何が何でも新作の「法」に頼って日本に対応しようとするこのごろのアメリカもどこかが変だ。
  目つぶしを使った「日本人」レスラーは卑劣だ。それは間違いない。
  だが、本来は飛び出すべきではない<正義>の「レフェリー」が決着をつけてしまったあの試合と同様に、アメリカが対日貿易規制法だけで日米間の経済摩擦を乗り切ろうとするのはどこか変だと思えて仕方がない。

--------------------------------------------

 〜ホームページに戻る〜