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1987年8月28日

秋−旅情、友情、物語り



  生まれ育った国、あるいは少し住み慣れた国を離れ、見知らぬ土地を旅するのは楽しいものだ。そこに一人の友人でもいれば、楽しさはまた一段と大きくなるに違いない。
  「朋(友)あり、遠方より来たる、またたのしからずや」はまさしく永遠の真実だが、その逆「友あり、遠方を訪ぬ、たのしからずや」もまた一片の真は語っているはずだ。
  いや実際、遠方の友を訪ねて深い楽しみを味わったあのインドネシアのバンドンへの旅は、生涯忘れられないものになることだろう。


  …などと書き出しておいて、つづくのは「焼き肉」の話だ。

  そのバンドンの華僑の友人が「君は日本人だから焼き肉料理ができるだろう?」と尋ねてきたとき<日本人>と<焼き肉>のあいだに存在する、論理的な大きなずれに気づきながら「まあ、できないことはないが…」などと答えたのが間違い、いや、大きな楽しみの始まりだった。

  「よし、だったら、今夜は焼き肉にしよう!」と、牛肉消費振興会か焼き肉のタレ製造会社かかの宣伝文句のような声を上げたその友人のこのあとの行動の迅速さといったらなかった。
  「数年ぶりに再会した友との、バンドンの夜の、焼き肉に舌鼓を打ちながらの談笑、…悪くない」などと思うこちらの思考速度をはるかに超えるスピードで彼のトヨタは、バンドン市内でただ一軒というアメリカンスタイルのスーパーマーケットに向かった。
  友人はそこで、ニュージーランド産の最上級輸入牛肉を、何故かは説明しないまま、ひと抱えほども買い込んだのだが、さて、次に焼き肉のタレを買えばそれで、というところから話の流れがおかしくなってきた。彼は「実は、焼き肉のタレを売っているところは市内にはない」と言うのだ。

  「なるほど、焼き肉が料理できるかというのは、タレがつくれるかという意味だったのか」と気づいたあと襲ってきた動揺は小さくなかった。まして、買い込んだひと抱えほどもある牛肉を全部<料理>しなくてはならないということが判ったあとの…。
  だが、「何がいる?」と友人はのんきな表情だ。
  醤油とみりん、ネギ、ニンニク、それにゴマでも振りかければなんとかなるか、と生まれて初めてのタレつくりに挑む気になってきたところで、友人は「ここではみりんも手に入らない」と言う。「では、日本酒はどうだ?」。日本酒と砂糖を使えば、たぶん、みりんに似た味ができる。だが、「日本酒もないんだ」と友人は言う。
  そんなことで焼き肉のタレがつくれるのかと訝り始めたこちらを見ても、友人は動じない。「今夜パーティーを開く家の隣に日本人の駐在員が住んでいる。あの家には何かがあるかもしれない。訪ねてみよう」と楽観的だ。
  なるほど。バンドン郊外には日本の織物工場などが進出してきているのだから、市内のどこかに日本人が住んでいてもおかしくはないし、確かに、そのうちにはみりんもあるかもしれない、などと考えたあとだった、「待てよ。パーティーだって?それ何のこと?」と思ったのは。
  問えば、今夜の焼き肉はそのパーティーのメインディッシュになるのだという。「客の招待もすんでいる」と友人は笑う。

  その、パーティーを開くという家に着いてみて驚いた。いや、玄関、ホール、階段に敷きつめられた大理石や、調度品の豪華さに驚いたわけではけっしてない。この、バンドン市内で最上層に属すると思われる、わが友人の仕事上の重要な友人でもある人物の家で開かれるパーティーに−それは確かに<日本人>ではあるけれども−料理の素人がこしらえた焼き肉料理を出そうという、わが友人の無謀さと度胸に驚いたのだ。

  不運なことに、<隣の日本人>宅でも焼き肉のタレ、みりん、日本酒が切れていた。
  えい、何とかなるだろうと、その家の二人のメイドを指揮して、肉を薄切りにさせ、それを四、五枚の大皿に盛った。精製度のあまりよくない砂糖を煮つめ、一応シロップも用意した。日本酒の代わりのアルコールは、大きな居間のりっぱな酒棚に並べてあった高級そうなボトルの中からもっとも金文字が多いラベルのブランデーを選んだ。…史上最も高価な焼き肉のタレになったかもしれない。

  「こちらはバンドン一、二の建設会社の社長夫妻」「こちらは著名な会計士」などと招待客を紹介されても、少しも頭に入らなかった。
  木立の向こうにバンドンの街が見下ろせるベランダに火が用意され、テーブルにはビールやワインが並べられた。南国の果物がいい彩りとなっていた。…そこに、わが手製のタレが思い切りかけられた、四、五枚の大皿に盛られた牛肉。
  「ああ、前もって味見をしておくべきだった」「この雰囲気はどう見てもただのホームパーティーではない」「少なくとも、南カリフォルニアのいたるところで週末に開かれる、あの手軽なるパーティーではない」。…緊張が高じてくる。

  出す煙の量と匂いだけはほかに負けていない焼き肉の一片を最初に口に入れたのがだれかは言うまでもないと思う。

  あとにも先にも、あれほど美味なる焼き肉は食べたことがない。
  舌にとろけるような肉のやわらかさだけが味をよくしていたのではなかった。たぶん、最高級のあのブランデーのせいだけでもなかった。
  遠来の友を信じて任せきったわが友人の器量と、それに応えようとした者の努力と熱意があのすばらしい味となっていたに違いない…。
  などと、涼風に吹かれながらの、バンドンでの楽しかった焼き肉の一夜に想いを飛ばしていたある日、その友人から手紙が届いた。おかげさまで、新しい事業をうまくスタートさせることができた、また遊びに来ないか、今度は寿司でも一緒に食べたいものだ、という内容だった。
  はて、あのアメリカンタイプのマーケットに寿司酢があったかどうか…。

  たまには遠方の友を訪ねてみたいものだ。
  秋が近い。燈下で手紙をしたためるのも風情があってよさそうだ。今夜はひとつ、バンドンに向け、久しぶりに…。

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