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1987年10月14日

情報時差を愉しむ



  友人の仕事を手伝うために半年ほどマニラに滞在したことがある。テレビの日本語放送があるわけではないし、日本の情報はもっぱら<読む>ことで手に入れたものだ。
  その中心はやはり新聞だった。日本とフィリピンの時差は一時間。その日の日本の朝刊が午後には読めた。いわゆる<オーバーシー>配達ものだった。

  マニラ市内のマラテ地区アドリアティコ通りに日本人向けのごく小さな古本屋があった。在庫の方もとても<豊富>といえるものではなかったが、それだけにかえって、その地の日本人の読書傾向などがうかが知れるようで、棚を眺めるのが愉しかった。
  多くは、商社などの駐在員や長期滞在者、その家族が残していったものに違いなかった。<日本語で書かれた情報はたしかに貴重だが、それでも、同僚や後任者に引き渡すほどの値打ちはない、そうかといって、打ち捨てるには惜しい>という類の本や雑誌だったと思われる。
  もちろん、<惜しい>と思う気持ちには個人差があるわけだから、種類は普通の週刊誌から流行を過ぎた経営書まで雑多だったが、中に、特に目につく雑誌が一つあった。発行年月はまちまちだったし、総数で十冊を超えたことも一度もなかったけれども、在庫量で常に他を<圧倒>していた「文芸春秋」がそれだった。
  その古本屋ではたしかに「現代」も「オール読み物」も見かけた。だが、「文芸春秋」の在庫の安定ぶりは<抜群>だった。新しいものでは半年ほど前の、古いものではニ、三年ほどさかのぼる号まで、この雑誌はいつも五、六冊が在庫されていた。

  短絡は慎むべきだと思いながらも、想像に想像を重ねて、こんなふうに考えたものだった。<なるほど、海外駐在員たちに最もよく読まれる−他人に譲るほどでの値打ちはないがただ捨ててしまうには惜しい程度には必要な情報が収められている−情報時差を超える雑誌、それがここでは「文芸春秋」というわけか>

   つい先日、この雑誌の一月号をある人から借りて読んで、そんなことを思い出した。−−このロサンジェルスでもこの雑誌は<ただ捨て去るには惜しい雑誌>の筆頭に位置づけられているのかもしれない。
  さて、その一月号に「戦後の名著ベスト10」という記事があった。<戦後刊行された書物の中から“名著”を選び出す>という主旨で、作家、評論家、学者など百二十六人が選んだそれぞれのベスト10を集計してランクをつけたものだという。雑誌の性格上、回答を寄せた人たちの専門分野に片寄りがあったからか、必ずしも戦後刊行物の全ジャンルをおおいきってはいないかもしれないが、結果はなかなか興味深いものになっていた。
  一位から十位までを書き写すと、こうだ。(一)黒い雨 井伏鱒二 (ニ)野火 大岡昇平 (三)死霊 埴谷雄高 (四)金閣寺 三島由紀夫 (五)きけわだつみのこえ 日本戦没学生記念会編 (六)本居宣長 小林秀雄 (六)坂の上の雲 司馬遼太郎 (六)「甘え」の構造 土居健郎 (六)戦艦大和ノ最期 吉田満 (一〇)現代政治の思想と行動 丸山真男

  地震も収まり、十月の異常な熱波も去り、南カリフォルニアも秋めいてきたころ。このリストの中の一冊でもこの秋じゅうに読み終えてみるのはどうだろう。
  マニラと違い、これらの本が簡単に手に入る書店がロサンジェルスには何軒もある。
  それにしても、「戦後の名著ベスト10」とは気になる表題だ。なるほど、この「文芸春秋」という雑誌、たしかに<ただ捨て去るには惜しい>情報知識を収めているものらしい。
  日本との<海を隔てた国境の町>ロサンジェルスで、微妙に遅れたこんな情報に浸ってみるのも悪くない気がする。

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