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1987年12月2日

ラジオを聴く



  この頃、ラジオを聴くことが多くなった。特に理由はないと思っていたが…。

  ダイアルを合わせるのはソフト・ヴォーカルを聴かせてくれる局が多い。これも何故ということはない。
  音量はあまり大きくしない。静かに耳に流れ込んでくる音楽を聴くとはなしに楽しんでいる、という程度がいい。
  せっかくだが、歌詞にもほとんど気をとめない。たまに「イズ・イット・ミー・ユー・アー・ルッキング・フォー?」などという文句が耳に残ることがあって、ほう、と手紙を書く手を休めたりするぐらいだ。

  いまではもう習慣になってしまっているが、ここ数年、明け方に、それもまだ暗いうちに、必ずといっていいほど目を覚ます。七時まで通して眠るようなことがあれば、かえって自分の健康状態を疑ってみたくなるぐらいの、ずいぶん慣れ親しんだ習慣だ。
  目が覚める時間はまちまちだ。午前三時のこともあれば、五時半のこともある。十五分も経って再び眠りに落ちればどうということはないが、なかなかそうはいかない。目覚めたときに、もしほんのひとかけらでも昼間の、あるいは、現実の出来事の断片が頭に浮かび上がろうものなら、一〜二時間はその断片に意識を奪われて眠ることができなくなる。半醒半眠の状態ならまだいい方だ。

  明け方、そんな、どうしようもなく目覚めたがる頭に微かな音量の音楽をそっと流し込んでやるようになったのはいつ頃からだったか…。
  十分、二十分と過ぎ、やがて、頭に浮かんだ現実の断片に再び霞がかかり始め、すべての音が遠く小さくなっていく…。
  学生時代が過ぎてからはあまり聴かなくなっていたラジオを昼間でもまた聴くようになったのも、たぶん、同じ頃からだ。

  東京芝浦電機というラベルを見たという記憶がある。…少年の頃、<カナリヤ>という愛称がつけられた(真空管が五個備えられた)五球のラジオを両親に買ってもらっていた。「君の名は」や「紅孔雀」を聴かせてくれた−箪笥の上の−木枠箱型のもの(受信状態が悪いとその木枠をよくたたいたものだ)からラジオが、本棚や机の上に置かれるプラスティック枠のものに変わり始めた頃のことだ。
  <カナリヤ>も淡い藤色とクリーム色のツートーン・カラーが“モダン”なプラスティック枠のラジオだった。
  夜が更けると<カナリヤ>のダイアルを回した。遠くのラジオ局の放送をキャッチしたくてならなかった。わずかに捕らえかけた電波が初めての周波数だったりすれば、次の夜は、軒先に下げた針金をアンテナ代わりにして、それをまた追ってみた。風が吹けば針金が揺れ、かえって受信が難しくなったりもした。それでもなんとか聞き取ろうと耳を近づけるていると、熱くなった五本の真空管が、焼けるような匂いを微かに放ちながら、乾いた熱を頬に伝えてきた。
  その頃は、電波の向こうにはいつも新しい世界が広がっているような気がしていた。

  けさは五時頃に一度目が覚めた。きのうロサンジェルス空港で見送った友人夫婦のことが頭に浮かびかかった。
  いつものようにラジオをつけた。音楽が聞こえた。やさしげなヴォーカルが遠くから聞こえてきた。…思えば、案外早く眠りに戻ったようだ。頭に浮かびかけた現実の断片そのものがたまたま、遠くへ旅立つ友人夫婦の姿だったからかもしれない。

  週末は起き出すとすぐにラジオをつける。音楽が静かに小さな部屋を満たしていく…。音楽に身を浸しながら、さて、きょうは何を、とつぶやいたりする。つぶやきながら、朝一番にそんな現実的な思考に捉えられている自分がおかしくて、何度も苦笑したりする。

  深夜に遠くのラジオ局の電波を追い求めるようなことはもうない。

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