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1987年12月9日

政治家の言葉



  新聞の小さな切抜きが机の上にある。その隅に<十月十八日>と書き込んであるのだから、もう二か月近くもそこに放ってあったことになる。
  見出しはこうだ。
  「竹下政権なら議員やめる」二階堂氏

  政治家というのはずいぶん思い切ったことを言うものだ。この発言があったのは十月十七日。竹下、安部、宮沢の三氏が自民党総裁選びの大詰めを迎えて必死の多数は工作に走る一方で、それぞれ<話し合い>をくり返し、互いに腹の探り合いをつづけながら、しかも、中曽根総裁(当時)の裁定にも期待をつないでいる、といった状況の中でのことだ。
  二階堂氏が竹下氏に敗れたことはその時点でもう明らかになっていた。二階堂氏の、少なくとも総裁選における役割は実際、ほとんど終わっていた。安部、宮沢の両派は、万が一にも党大会での投票に持ち込まれた場合に備えて、あるいは<話し合い>を自派に有利に運ぶために、二階堂氏の<田中派>を最期の<草刈り場>にしようとしていた。
  一方、中曽根総裁と中曽根派は沈黙に近い状態を保っていた。
  数の論理でいけば、竹下氏有利というのが一般の見方だった。
  二階堂氏にできることといえばもう、竹下新総裁の出現を“できるだけ”妨害することぐらいしかなかった。<田中派>を割って出た竹下氏に対する二階堂氏の<憎し>の感情は高まるだけ高まっていた。いや<田中派を割って>ではなく、竹下氏の創政会は<田中派を潰して>出ていったのだった。二階堂氏の無念がついに「竹下政権ができるようなら、私は国会議員をやめる」との発言にまで高まったとしても、その心中は分からないものでもなかった。

  しかし、やはり、二階堂氏は辞めなかった。


二階堂進氏
(From:http://www.mainichi.co.jp/english/news/archive/200002/04/news10.html)

  辞めると期待していたわけでも、まして信じていたわけでもなかったが、辞めればおもしろいとは思っていた。
  政治家のご大層な発言をいちいちまともに聞いていては、聞く方の健康によくない、ぐらいのことはいまどき、たぶん、子供だって知っているだろう。だからこそ、二階堂氏が辞めればおもしろいことになっているはずだった。

  政治の世界の言葉がますます遠くなっていく。
  虚々実々、駆け引きに明け暮れる政治家の言葉が常に真実を語っているとは思えないが、こんどの二階堂氏のもののように、たとえ一時の高揚からにしろ、思わず真情を洩らした言葉ぐらいには<まとも>な責任の取り方があってもよかったのではないか。…そんな気がする。
  辞めなかったことで二階堂氏は、控えめに言って、政治の素人の目には<ただの凡庸な政治家にすぎなかった>と写ったと思う。それが言いすぎなら、<田中角栄元首相あっての二階堂氏だった>という印象がいっそう濃くなったことは間違いない。

  政治の世界は複雑怪奇。仮に二階堂氏が辞めていたとしても、何も変わってはいなかったかもしれない。だが、政界用語の空々しさにひと刺し、日常感覚そのままの<血の通った>言葉を差し込めば、ほんのひと時とはいえ、ある種の文化的ショックを政界に与えることになっていたのではないだろうか。
  二階堂氏はせっかくの機会を自ら捨ててしまった。田中元首相に最後まで忠誠を尽くし、自民党史上最大の勢力を誇った派閥の崩壊を見届けながら、無念のうちに議員を辞した<最後の党人派党員>として党史に名を残すことも、これでなくなった。

  竹下新政権。<田中派>からは、やはり、一人の大臣も生まれなかった。

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