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---------- コラム 16 ----------

1988年1月4日

内なるフロンティア



  不意に「砂漠が見たい」という気持ちになったとき、頭の中の地図には、遠くてもインディオ辺りを思い浮かべていた。ラスヴェガスへの道を除けば、東はサンバナディーノまでしか知らなかった身には、地図の上のインディオは、その時間から出かけるところとしては十分に遠いところに見えていた。
  暮れの三十日、思い立ってから十分後、お昼にほんの少し前という時間にロサンジェルスを出た。フリーウェイ10に乗ってみると、東へ東へと車を走らせるという考えは、初めに思い描いていたものよりもずっといいものに見えてきた。空想の力、あるいは想像力というべきか、このフリーウェイの先には広大な北米大陸が広がっているのだというイメージは、前日まで年末の仕事を忙しく働いてきた頭に新鮮な空気を吹き込んでくれた。

  日々同じ場所で同じ内容の仕事をつづけることが日常だとするなら、旅や移動は日常から逃れ、非日常の世界へ飛び出したいという人の気持ちの一つの表れなのだから、たぶん、あくまでも自分の生活基盤を破壊しないという条件つきで、<できることなら、より遠く、より違った風景や環境の中へ向かいたい>という思いとなるのは自然なことなのだろう。

  景色の雄大な場所が観光名所となるのは、その風景を眺めながら人々が、空間的に、自分が現に生きている日常世界の彼方を夢見ることができるからだという。歴史的遺物、遺跡などが観光名所となるのは、その遺物などを眺めながら人々が、時間的に、自分が現に生きている日常世界の彼方に思いを飛ばすことができるからだという。
  ときおり精神をそんなふうに自由にしてやりながらやっと、人は日常的な、どっしりと重い世界に耐えていけるものと見える。

  カリフォルニア砂漠の中の町インディオに着いたとき、気が変わった。日は傾き始めていたが、沈むまでにはまだ時間があった。もっと東に向かうことに決めた。
  州境の町でガソリンを入れているあいだにもまだ迷っていた。一時間もすればフリーウェイが闇に包まれることはもうはっきりしていた。だが、結局はさらに東へと車を走らせることにした。
  フィニックスがこの日のドライヴの終点となった。フリーウェイ10もこの大都会の一隅でいったん一般道路と合流していた。

  去年、グアムで一人のチャモロ人の若者と知り合った。生まれてから十九年間、一度も島を出たことがない、と彼は言った。
  マドンナとマイケル・ジャクソンの日本公演が目前に迫っているときだった。そんな情報に日々浸っていた、音楽好きのこの若者は、遠く見知らぬ国、日本に思いを馳せながら、「この島を出てみたい」と何度もくり返した。
  グアムは、砕いた珊瑚を敷きつめた狭い道を車で六時間も走れば回り終えることができるぐらいの小さな島だ。そんな島では、大陸の内部に向け車を走らせて擬似的な解放感を味わうことなど、もちろん、できることではなかった。また、空想の力や想像力を借りて、日常世界の彼方へ意識を飛ばし、ひととき精神を解放してみたいと願っても、現に島を閉ざしている目の前の海があまりにも大きすぎて、解放は中途半端に終わるに違いなかった。この若者にとっては、現実に島を出るという行為だけが、日常世界を逃れ出る唯一の方法であるようだった。

  翌朝フィニックスを出発したロサンジェルスへの戻りのドライヴがまた良かった。一つ砂漠を走り抜け、丘を越し、また、遠く近く山に出合う。日常へと戻る道だと十分分かっているのに、西へ西へと進む行く手に何かがありそうな気がしてしまう…。
  そんな風景が何度も現れては過ぎ去っていった。

  この国にまだフロンティアがあった時代、人々は意識をそんな風景の彼方に飛ばしながら日常を自分の力で切り開いていったはずだ。
  いま、この国には、たぶん<内なるフロンティア>が必要だ。
  より遠く、より違った風景を、ほかならぬこの国の内部に見よう、という意識が人々に蘇れば、この国はまた変わっていく。

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