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1988年1月26日

潮の匂い



  今年二度目の祝日だった十八日、南カリフォルニアの空は遠く深く澄みわたっていた。なごりの風がまだ強く吹いてはいたが、冬の嵐に襲われた前日とはうって変わり、どこも透き通る太陽の光に包まれていた。
  昼下がり、マリブの少し西の小さな浜でほんのひととき、海を眺めてみた。
  青々とした空を映していたにもかかわらず、底砂を巻き上げた高い波は土色に濁って、浜に砕けていた。
  遠い沖合いから吹きつける風に運ばれてきた潮の匂いが、たちまち体を包み込んでいった。浜で波が砕けるたびに、その匂いが濃くなっていくようだった。

  奇妙なとまどいに捉えられた。自分がひどく不似合いな場所にいる…。そんな思いだった。
  それから、ふと懐かしい気がした。昔、どこかでおなじ匂いを嗅いだように思った。おなじように強い風に吹かれ、海を眺めながら、潮の匂いにとまどったことがあった…。

  江ノ島の海を一人で眺めたのは、もう二十年以上も前のことだ。
  午後の早い頃には、遥か遠くを北に向かって進む客船が日の光を浴びて白く輝いて見えていた。風に冷たさが増した頃にはもう、太陽は、西の空のわずかな雲の切れ目から、どうにか光を差しかけているだけだった。うす暗くなりかけた頃には、厚い雲から小雪が舞い落ちていた。


江ノ島
(From:http://www.papasmamas.com/summer/walk/home/home.html)

  潮の匂いに馴染めないことには早くから気づいていた。七里ガ浜の砂に足を取られながら歩いていたときも、島に渡る橋の欄干にもたれ寒風に吹かれていたときも、島の土産物屋の店先をひやかしていたときも、潮の匂いが気にかかって仕方がなかった。
  その匂いに「オ前ハ場違イナトコロニイル」と言われていることは、たぶん、分かっていた。…いや、自分は場違いなところにいる、という意識がそんなふうに潮の匂いに対する過剰な反応となって表れているのだろう、ということは分かっていたように思う。
  そこにいる、ということが何故とはなしに恥ずかしかった。女の剥がれかけた厚化粧のように、けばけばしさと侘しさがないまぜになった冬の観光地江ノ島には、二十歳になったばかりの若者の一人旅は、どう見ても似合ってはいなかった。

  思えばあの頃は、膨れあがる羞恥心に弾き出されるように、何度も小さな旅をくり返した。だが、とまどいがついて回らない旅はなかった。場違いな感覚と羞恥心は結局、いつも旅支度の小さな荷の中に潜り込んでいるのだった。

  マリブの西の小さな浜には長くは留まらなかった。
  数組の家族連れや二人連れが車を停め、しばらく海を眺めては、強い冷たい風に追い立てられるように立ち去っていった。嵐のあとの海を、打ち寄せ砕ける波を、ただ一人だけで見つめる者はほかにはいそうにもなかった。

  二十数年後のとまどいが、“懐かしさ”とともにやって来たのは幸いだった。場違いなところに佇んでいるという感覚はおなじだったけれども、江ノ島の潮の匂いに感じたとまどいからの歳月の長さが演出したその懐かしさのせいだったのだろう、あの羞恥心はもうなかった。
  …それも、一人でいるということにいまはあの頃よりは馴れている、というだけのことだったかもしれないけれども。

  気づけば、二十数年の歳月を挟んで、西と東からおなじ海を眺めていた。
  こちら側では、空は青く、太陽は輝き、どんな感傷も受けつけてくれそうにないのが妙にありがたかった。

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