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1988年3月1日

米国のいらだち



  心配していたとおり、というべきだろう、日本の公共事業市場開放問題をめぐって、日本に対する米国のいらだちが大きくなってきている。
  今度のいらだちは、本紙二月二十六日の記事を引用すると<日本側は、竹下首相が一月に訪米した際に米側に“約束”した内容から後退した、というのが米国の一般的な受け止め方となっている>という形で表現されている。
  日米信頼関係の基礎を一層強化するため、といわれた竹下訪米からひと月以上が過ぎて、両国関係は、良くなるどころか、一層悪化しているようだ。

  二十六日の記事を読み直せば、<“約束”した内容から後退した>というのは外交上の言い回しで、実は<日本は“約束”を守る気がない>、つまりは、ほとんど<嘘つきだ>と言われていることが分かる。

  公共事業の市場開放ができないのなら、できない、と正面きって言うべきだ、あるいは、できないことを、もしかしたらできるかもしれない、とニオワスような発言はすべきではない、という提言はあまりに真っ正直すぎるかもしれない。だが、<どうしても開放できない>と主張しているあいだは、それは<互いに利害が一致しない経済問題>に留まっているが、<ニオワス>行為はもう別だ。信用、信頼の次元に問題が移るからだ。ニオワスことも国際交渉のテクニックの一つと考える人がいれば、それはたぶん誤った考えだ。まして、いつでも開放可能なのに不可能と返答しているとなれば、それは<欺き>で、もう救いようがない。
  ニオワス行為にしろ欺きにしろ、そんな信用を失うようなことを日本の首相や政府がくり返しているとすれば、それは重大なことだ。

  一月二十日づけの時事往来<首相訪米>で筆者は、ロサンジェルス・タイムズの見出しを紹介し、同紙を読んだ限りでは<首脳会談の成果など、ひとかけらも感じられはしない>と書いた。<“コミュニケーション摩擦”の解消は“貿易摩擦”のそれよりも恐らく数倍難しいに違いない>とも書いた。
  その“コミュニケーション摩擦”が始まっている。

  同じ二十六日の本紙に注目すべき記事がもう一つあった。<日本の経企庁首脳は二十五日、米国との牛肉・オレンジ輸入枠協定交渉に関連して「牛肉は二年以内に輸入自由化をせざるを得ない。オレンジの自由化はもっと早いかもしれない」との見通しを明らかにした>というものだ。
  竹下首相が<牛肉・オレンジの自由化は八年〜十年以内に>との意向を語ったのはその前日のことだ。首相の“八年〜十年”には何の根拠もなかったのだろうか。首相指揮下の経企庁からこうも簡単に、異なった自由化時期が出てくるというのは、いったいどういうことだろう。
  経企庁の首脳は<コメ以外の農産物は自由化しないと(日本の立場は)対外的にもたない>と指摘したという。国内向けには<自由化はしない。しても、可能な限り遅らせる>という姿勢を示しながら、<米国の圧力が強いため“いたしかたなく”自由化させられる>という図式で事態を乗り切ろうというのは、どこか幕末の開国論議を思わせる、ずいぶん時代錯誤な政治ではないか。

  USAトゥデイ紙は先月、フォーリー下院議員の<竹下首相は自分でした約束は守ろうとするだろう>との発言を紹介した。首相の約束を疑問視する向きが議会内にあったからだった。

  自国が世界でどう位置づけられているか、評価されているかについて、日本の指導者たちがまるで無知、無関心だというのは実に困ったことだと思えるのだが−−。

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