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1988年3月4日

敬遠策の論理



  池井優著「プロ野球外人選手列伝/ハロー・スタンカ、元気かい」(創隆社)を読んだ。

  “事件”が起こったのは一九六五年、夏八月。舞台は−とうに取り壊されて消えてしまっている−東京球場。主役は、パシフィックリーグ、阪急ブレイヴスの怪物“外人”選手、スペンサー。対戦相手は当然、東京オリオンズ(現ロッテ)。
  その日までの荒筋を略述すれば−−。
  十三日の時点で、パ・リーグの本塁打王争いは、主役スペンサーが三三本、二番手、南海ホークスの野村捕手が二八本。スペンサーの優位は、その好調さからみて、明らかと見えていた。
  さて、十四日。スペンサーは第二、第三打席とつづけて坂井投手に歩かせされた。翌十五日はダブルヘッダー。第一試合の相手投手は、コントロールの良さでは球界屈指の小山正明だった。だが、スペンサーは四打席連続の四球。一六球つづけさまのボール、つまりは、ストライクが一球もない四球だった。ここまで、前日から二四球連続のボール、スペンサーは一度もバットを振っていなかった。第二試合、スペンサーは第一打席も第二打席も歩かせられた。第二打席はしかも、満塁での“敬遠”だった。
  “事件”というのはこのことだ。スペンサーは思いもしていなかった日本記録をつくっていたのだ。八打席連続四球!
  スペンサーは小山を大投手だと信じていた。<大投手は大打者を打ち取ってこそ大投手といえるのに>と不満だった。それに応えて、小山は記者団に「ワシは大投手なんかではない。元大リーガーだったかもしれんが、審判の判定にすぐ文句をつけたり、どうも気にくわん。スペンサーには本塁打を打たれたくない」と述べた。

  さて、舞台は移り、十月一日の西京極球場。阪急の相手は、本塁打四〇本の野村がいる南海。三八本のスペンサーに対し、南海は徹底して勝負を避けた。そして、八回の打席。スペンサーはついに、バットを逆さに持って打席に立った。
  <あのとき日本の投手がまともに勝負してこず、野村にタイトルを取らせようとしたのはアン・フェアーだった>と後にスペンサーは述懐している。

  結局、この年のパ・リーグ本塁打王は四二本の野村が手中に収めた。スペンサーは三八本で終わった。スペンサーがあの八月の“事件”の日からあとに打った本塁打はわずかに五本だけだった。

  最近どこかで聞いた話に似ている。
  まともに勝負しない日本の投手たち。無四球試合数の日本記録保持者、小山の一六球連続ボール−−。
  何がなんでも日本人選手にタイトルを取らせようという“排外主義”。それに対する“アン・フェアーだ”という批判。

 一九八八年。二十三年後の今年も<日本と日本人はアン・フェアーだ>という批判の声を聞かない日はない。
  日本経済はもう、当時の小山投手と同程度、あるいはそれ以上の力をつけているのに、まだ「ワシは大国なんかじゃない」とすねて見せ、何がなんでも日本企業と日本農業だけにストライクを−それもたまにはど真ん中に−投げてやる一方、米国の企業や農業にはボールばかりの敬遠策−市場閉鎖。

  スペンサーは日本のプロ野球を育ててはいないかもしれないが、米国には<足腰がまだ弱かった頃から助け、日本をここまで育ててきたのに>という思いがあるに違いない。
  二十三年後の貿易摩擦版“敬遠の論理”もやはり、米国人にはずいぶん不評のようだ。

参考サイト:何ゆえ故意四球は社会を揺るがすのか

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