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1988年5月13日

“型”の国から



  子供の頃のある時期、夕暮れ時になると決まって、胸が締めつけられるような奇妙な感覚に捉えられたことがあった。それがいったいどれぐらいの期間にわたっていたのか、いまはまるで記憶がない。始まりがいつで、どんなきっかけだったかも、どういう理由で終わりが訪れたかも、覚えていない。ただ、その奇妙な感覚に浸るために、夕暮れどきになると近所の屋外剣道場に−それこそ飽きもせずに−見物のために通ったという記憶があるだけだ。

  昭和でいうなら二十年代の終わり、一九五三年から五四年にかけての九州佐賀市は、鍋島藩士山本常朝が武士道の理念を書き著したという<葉隠(はがくれ)>の気風の名残があったものか、すこぶる剣道が盛んな町だった。
  わたしが日々見物に出かけた道場の主は、白髪混じりの坊主頭の、いかにも古武士ふうな面立ちの老人だった。いや、老人と見えたのはわたしが子供だったせいで、実は案外に若かったかもしれない。竹刀を手にしての動きは、すこぶる敏捷というのではなかったが、なかなか鋭いものに見えていた。
  道場主の自宅の横手の、板塀に挟まれた狭い空き地が、弟子である少年剣士たちの稽古場だった。そのために特に整備したのでもない土の上で、裸足の剣士たちは厳しい気合を掛け合い、竹刀を打ち合わせながら、とっぷりと日が暮れてしまうまで稽古に精を出していた。
  この道場の弟子の数が十人の超えたことはなかったと思う。だが、傍目にも厳格と見えた老師の指導を受けながらも、少年剣士のだれかが脱落していくということもなかった。
  稽古はいつも同じ手順でくり返された。剣道−少なくとも、この老剣士が教える剣道−が何より“型”を追求しようとするものだということは、夕暮れどきになると出かけては、板塀に寄りかかりながらただ眺めていただけのわたしにも、十分理解ができた。
  夏の暑さの中での稽古は、見た、という記憶がない。長い期間通いつづけたにしては、妙だ。手拭いをとった少年剣士たちの額に噴き出す汗は何度も見たが、その汗はいつも寒気の中に湯気を立ち昇らせていたような気がする。

  “型”に原因があったのではないかと思う。
  弟子の少年剣士たちに老道場主が伝えようとしていた剣道の、つまりは人生の“型”というものが、冬の寒気の中でこそ際立つ類のものだったからではないか−。
  わたしが浸りたかった、胸が締めつけられるような感覚は、たぶん、“型”というものが周囲に振りまく緊張感に由来していたのではないか−。

  あれだけ、といっていいほど通いつづけた剣道場だったが、その道場主がわたしに声を掛けてきたことはなかった。わたしもただの見物者でいつづけた。不思議なことに、自分も剣道を習いたいと思ったこともなかった。
  あれから三十数年が過ぎている。
  あの頃、わたしが“型”の世界の魅力にほとんど首まで浸りきっていたことは間違いない。だが、わたし自身はなぜか、その世界に踏み込まなかった。夕暮れどきにあの小さな空き地でくり返されていた“型”の追求にわたしは、結局は、馴染みきれなかったらしい。

  いま、わたしは南カリフォルニアにいる。思えば、ここほど“型”の世界から遠い場所はめったにないかもしれない。
  
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