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1988年5月25日

“人種差別”感覚



  時の流れが速いからというばかりではなく、様々な分野で事件が多発するせいもあってか、これはすでに旧聞に属する観さえあるが、朝日新聞のワシントン特派員が先月、日本にこう伝えたことがあった。
 米下院の包括貿易法案の可決を「日本に対する人種差別」だとした田村通産相の発言を、ワシントン・ポスト紙は「日本の高官、貿易法案をこきおろす」という見出しで大きく報じた。
  朝日新聞の<気流>欄でこれを紹介した高成田特派員は、米側にしてみれば「保護主義法案だという外国からの批判は予想できたが、人種差別だという非難は、意外だったためだろう」とコメントしている。同特派員はさらに、同法案では@東芝制裁条項ではノルウェイのコングスベルグ社も東芝と同等に扱われているA韓国など新興工業国・地域(NICS)を目標にした条項も多い、と指摘、米国内には、日本が市場を開かないから米国の対日赤字がなくならないという被害意識もあり、(田村発言が)「日本は自分の不公正さはタナに上げて…」という反発を招いたことは確かだ、と述べている。

  田村通産相の発言は、冷静な情報・事実収拾を行わず、たまたま軽率な判断を示してしまったもの、というのが一般的な見方のようだが、果たしてそうだったのだろうか。

  高成田特派員は「貿易法案全体に、対米黒字で国富を蓄えているアジア諸国への反発感情が潜んでいる可能性もないわけではない。しかし、それを直ちに“人種差別”と短絡してしまうのは危ない。このような雑な論理で相手を批判すれば、相手の反発を買うだけだろう」と田村発言の「軽率さ」を戒めている。

  以前にも、中曽根首相(当時)の“差別発言”事件というのがあった。だが、日本の政治家たちがそろいもそろって“軽率”発言をくり返すほど無知だとは思えない。今度の場合でも、一国の国際貿易担当大臣が、事実を“粗雑”に曲げ、“自分の不公正さはタナに上げて”外国の政府や議会を一方的に非難したというのは、どうも理解しにくい。
  そこで考えられるのは、田村通産相の「貿易法案可決は日本に対する人種差別」との発言は、実は、米国向けではなく日本国内向けではなかったか、ということだ。

  日本の政治家が、特に外国による“不当な”行為の被害者を装って、あるいは、外国に無理強いされたとして、国内問題を乗り切ろうとするのは、いわば伝統的な常套手段だ。gごく最近では、<牛肉・オレンジ輸入自由化問題>がその好例だ。対米譲歩はとっくに決めていたにもかかわらず、自民党と政府は、米国の圧力抗し難し、といった形に持ち込みたがった。肝心の相手国である米国がどう受け取るかは、たぶん、二の次で、米国の政府や議会が少々不快に感じようが、それは選挙の票には響かない、とでもいうかのような、無神経な外交姿勢だ。しかも、そんな姿勢のせいで、すでに決めていた譲歩をもってしても交渉がまとまらないことになっても、だれも気に留めず、責任もとらない。
  
  だが、今回の田村発言は、従来の単に“被害者を装って”というのとは質が違っている。今度は、明らかに米国を“非難”しているのだ。攻めの姿勢なのだ。
  では、この唐突な“人種差別”発言はどこから出てきたのか。
  自民党内の昨今の雰囲気が出どころとして考えられる。
  先に靖国神社の春の例大祭に参拝した奥野国土庁長官(当時)は記者会見で、閣僚の靖国公式参拝問題について「ケ小平氏の発言に国民が振り回されているのは情けない」と語っている。田村通産相の“差別”発言はこの奥野発言と根を同じくしているように思える。一部の日本国民が保有しているらしい外国への根拠のない優越感と劣等感の両方に感情的に訴えてウケを狙う、その反応を国際政治のテコとして使おう、という手法だ。
  “国民が振り回されている”というのは奥野流の狡猾な挑発ではないか。“人種差別”だというのは、田村流の計算ずくの言いがかりではないか。
  自民党と政府が、自己保身を第一にするだけで、国際社会に通用する確固とした政策を持たず、右往左往して、国民全体の利益を犠牲にしている、という真相を覆い隠しつづけるためにならどんな発言でもできる政治家は案外に多いようだ。
  
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