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1988年7月7日

アジア代表



  カナダのトロントで先月開かれたサミット(主要先進国首脳会議)の際に日本でだけ関心を集めた“重大事項”があった。竹下首相の“位置”がそうだった。ほかでもない、参加した八首脳が横一列になって撮られるあの記念写真での同首相の“位置”のことだ。
  さて、トロント大学構内の学生センター、ハートハウスの中庭で行われた恒例の記念撮影では、首相としてはサミット“初出場”の竹下首相は、向かって右端にその小柄な体を置いた。朝日新聞はそのことを「黒字大国ニッポンの経済力とは対照的に、控えめの場所となった」と伝えていた。

  記念写真撮影では控えめだったかもしれないが、サミットでの竹下首相への評価は“思いの外に”高かったようだ。
  中曽根前首相とは異なり、オレがオレがの性格にはほど遠いといわれる竹下首相の、自分を知った、事前の周到な作戦が功を奏したとの見方が強い。この作戦の中心となったのが、日本を<アジアの代表>として位置づける、という考えだった。


自民党の会合に出席した中曽根康弘(右から二人目)竹下登元首相(同三人目)
<撮影草刈郁夫:1997年12月1日>
(From:http://www.mainichi.co.jp/news/journal/graphic/takeshita/02.html)

  首相は<カンビジア><フィリピン><ソウル五輪>を“材料”にとして取り上げ、欧米各国首脳に日本の立場を印象づけることに成功した。カンボジア問題では、同国民主連合政府のシアヌーク大統領から託されたメッセージを紹介しながら、各国に同大統領への支持を呼びかけ、ソウル五輪については、盧泰愚大統領との電話会談を基に、その成功のためのテロ防止への協力を各国に要請し、フィリピンに関しては、今年初めに同国で開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議出席の際に見たアキノ大統領のガンバリぶりを各国首脳に紹介し、支援を求めたのだった。
  竹下首相はまた、成長が目覚しく、貿易競争相手として日本および欧米各国の脅威となってきた香港、シンガポール、韓国、台湾のNIES(新興工業経済)に対しても理解を示し、さらに、後開発途上国(最貧国LLDC)の債務問題では、政府開発援助(ODA)の拡充を発表、円借款の帳消し方針を明らかにした。

  サミット終了後の<朝日新聞>は「過去のサミットを振り返ってみても、これほど日本が“アジア”を進んで話題にしたことはない」と評していた。

  五年前にウィリアムズバーグで開かれたサミットの参加した中曽根首相は、ホストのレーガン大統領と英国のサッチャー首相のあいだに“強引に”割り込んで“ロン・ヤス関係”を―世界にというよりは―日本国内に向け見せつけようとして、むしろ失笑を買ったことがあった。中曽根首相の個人的満足を別にすれば、この“努力”は現実政治の世界では何の役にも立たなかった。その後の“日本たたき”を見ればそれが分かる。

  今回のサミットでは、その風采、表情からも、竹下首相が自信を持って会議に臨んでいるとはまるで見えなかったが、首相は日本として実行可能な方針、政策をいくつか打ち出して、少なくとも“言語明晰・意味不明”の悪評を受けることはなかった。中曽根首相の“向こう受け”だけを狙う外交にうんざりしていた各国首脳が、派手な発言はせず、自分にもできることはやるとう態度に終始した竹下首相を評価したのは当然だったとも言えよう。

  とはいえ、竹下首相の目論見である<アジアの代表>としての日本を実現するのは容易ではない。第一に、経済的に、日本とアジア諸国の利害は必ずしも一致していない。また、そのアジア諸国側に<日本を自分たち全体の代表にしよう>という合意が成立しているわけでもない。民族、宗教、政治、文化、国民感情など、各国の複雑な事情を見極めてかからないと、こちらから“好意的な”顔を見せたつもりの当の相手、アジア諸国からも良い評価は返ってこない恐れがある。身勝手に<アジアの代表>を気取るのは危険だろう。

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