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1988年7月27日

八か月後の評判



  十二日の<ウォールストリート・ジャーナル>紙が、就任八か月後の竹下首相への評を載せていたので、概略を紹介したい。「日本の竹下 華やかさには欠けるが豊かな忍耐力を持つ首相」というのがその見出しだった。
  昨年十一月に竹下氏が首相になったとき、日本が必要としているのは決断力であり、国際的思考ができる、つまりは中曽根前首相タイプであって、竹下タイプではない、との評があった。竹下氏はそれまで、手堅いが、活気に欠ける、合意優先の政治家と呼ばれていたからだった。
  八か月が経過した。竹下首相はまだ、これといった自分自身の政策を打ち出していない。確かに、華やかさには欠けている。だが、中曽根氏をまごつかせた、例えば、牛肉・オレンジの市場開放問題では、竹下首相は、自身と自民党の強力な支持母体となっている農民団体の激しい反対を抑えてまでも、事を解決に持ち込んだ。マンスフィールド米駐日大使は、貿易問題の討議のために両国が交渉のテーブルにつくような事態が、竹下首相になって初めてなくなった、と述べている。竹下氏はここまでのところ、自分が時宜にかなって登場した首相だということを多くの面で証明してきたといえる。
  運に恵まれてもいた。経済は好調だし、懸案事項では、骨の折れる下準備が終了していた。首相就任が話し合いによって実現したため、自民党内に摩擦もない。それに、竹下氏はたいして期待されていなかった。首相自身が「自分は外交に弱いと思われていたので、普通にやってもみんなが、竹下はよくやっていると思うだろう」と語っているほどだ。
  だが、竹下首相の成功の原因は実は、三十年間にわたる議会および内閣における経験と、たぶん更に重要なことだが、政治資金集めで身につけた手腕にある。苦労が多い根回し、官僚や政治家たちとの果てしないコネづくり、問題の解決どきはいつか、だれが解決できるかを知る鋭い感覚などの“日本的”な政治手腕だ。
  竹下首相は、政策の詳細を把握しておきたいタイプではない。税制改正でも、重要問題が理解できていない、との証言もある。だが、首相はどの議員が自分を助けてくれるかを知っているのだ。大げさな表現だろうが、首相に近いある人物は、竹下氏が最初に蔵相に就任した際に、一ドルが二五〇円から二〇〇円になったとき、なぜ円が「上がった」というのかが分からなかった、と言っている。
  もし両者の前に同じ障害物があったら、中曽根氏は“西洋流に”それにくらいついて飛び越えようとするだろうが、竹下首相はドリルを持ち出してきて、気長に穴を開けて、障害を通過するだろう、と評する政治評論家もいる。
  竹下首相とその後継者と見られる人物たちについて,ある西側外交官は「自分の考えというものを持っていないし、自分からは何もしようとしない。少なくとも二十、三十年間は、日本は世界的指導者とはならないだろう」と述べ、さらに「日本が世界最大の債権国となっているときだけに、このことは大問題だ」とつけ加えている。
  竹下首相自身が何を“大問題”と考えているかは、時の経過とともに、明らかになってくるだろう。
  
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