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1988年7月29日

救急治療の怖さ



  友人の日本人が怪我をした。風でも入れようと押し上げる途中の重いガラス窓を右手の人指し指の上に落としてしまったのだ。ちょっと手を滑らせたとき、ガラスが割れるのを恐れて、つい受け止めようとしたのがいけなかった。指先がちぎれかかるほどの怪我になった。
  この友人は切れかかった指の二つの部分を互いに押しつけるように握りしめながら、たまたま近くに居合わせたAさんに救急車を呼んでもらった。ありがたいことに、あまり待たないうちに救急車はやって来た。だが、手当ては、いくら応急とはいえ、ほとんど包帯を巻いただけに等しかった。なのに、救急車はさっさと引き上げてしまった。こんな手当てでは指は元通りにはくっつかないのではないか、と不安に感じた友人はAさんに頼んで、救急隊員が教えてくれた私立病院に連れて行ってもらうことにした。
  その病院の救急治療室に着いてからが大変だった。
  なかなか手当てを始めてくれなかった。急いでくれと何度も訴えた。それでも事態は動かなかった。だが、たぶん運がよかったことに、病院には日系人の医師がいて、話を聞いてくれた。友人はほっとしたけれども、さあ手当てをしようという段取りにはすぐにはならなかった。
  カネは持っているか、という話になった。
  落ち着いているつもりだった友人もやはり、怪我で動揺していたものか、緊急治療を受けるだけの現金はおろか、カネがあること、あるいは治療費支払い能力があることを示すものは何一つ所持していなかった。病院は手術に取りかかることをしぶった。友人は、治療費は絶対に払うし、払うだけの預金も持っているから、とくり返して訴えたが、何の効果もなかった。
  正真正銘に幸運だったのは、友人を病院まで運んでくれたAさんがたまたま千ドルほどの現金を持っていたことだった。事情を知ったAさんは、この上なく親切なことに、当初の治療費の立て替え払いを承知してくれたのだった。―こうして、友人はやっと手当てが受けられることになった。病院到着後一時間が過ぎていた。
  縫合手術も受け、麻酔で痛みも忘れた友人は翌日の午後、二人用の“必要以上に豪華な”病室のベッドの上で前夜の“恐怖”を何度も思い返した。「もし、Aさんが現金を持ち合わせていなかったら、立て替え払いをしてくれていなかったら、この指はいまごろどうなっていただろうか」

  二十五日づけ本紙は、緊急医療の危機に関する記事を掲載していた。緊急医療室を訪れる患者の数は増加する一方だが、患者の二〇%は治療費が払えないというのが現状だ。ロサンジェルス郡では、経営難のために、三年前には二十三あった緊急用施設が十六に減少している。
  回収不能になった医療費の一部は連邦政府が補填してくれるが、それは全体の五分の一程度にすぎない。ロサンジェルス郡からの援助が二十五日に決定して閉鎖は一時的に見送られたが、四つの私立緊急医療施設が八月中に姿を消すことになっていた。

  治療費、入院費が払えないことを理由に、違法を承知で、緊急医療を拒む病院は、たぶん、まだまだ増える。施設の数は減少する。
  ますます怖い話になってきた。
  
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