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1988年8月11日

渡辺式思考法



  七日の<朝日新聞>に「放言はとまらない、アッケラカンの渡辺政調会長」という記事があった。「<リクルート…黒人…食料検査士> またまた<金持ち追い出すひがみ根性>」という見出しもつけられていた。
=2003年補足= <食料検査士>発言:「食料検査士というのは目が見えればいいんだ。耳が聞こえなくたって」(衆院予算委、一九八八年八月八日)
  その「またまた」とされる渡辺氏の“最新版”の放言は今月五日、自民党の税制勉強会で飛び出したものだ。同氏は「所得税の最高税率を高いままにしておいて金持ちを追い出すような“ひがみ根性”では、国を誤る」と述べたうえで、「中国も台湾、香港、シンガポールに逃げて、“ゼニのないのだけ”残った」と具体的に“例”を挙げて自説を補強したという。
  <朝日>によれば、渡辺氏は(中国の)「悪口をいうつもりはまったくない。“本当の話”を分かりやすく説明しているだけだ」と主張しているらしい。


渡辺美智雄氏
(From:http://www.nasu-net.or.jp/~yoshimi/goku.html)

  竹下政権の誕生以後、自民党の政治地図は書き換えられた、という見方がある。中曽根首相時代には、竹下、安倍、宮沢の三氏がほとんど横一線に並んでいると見られていたが、中曽根“裁定”後の竹下氏の意外ながんばりで、同氏政権の自民党規約いっぱいの継続が確実視されており、あとの二氏は後継者レースから脱落した、というものだ。
  この見方に従えば、この二氏に代わって浮上するのは中曽根派の最高幹部の渡辺氏。政界に“院政”を敷こうという野心を捨てきれない中曽根氏が―すぐにも派閥を渡すことはないだろうが―渡辺氏を次期首相に押す動きを陰で操ろうとする、というのは十分考えられることだ。つまり、放言政治家・渡辺氏が日本国首相の座に収まる日が案外に近いかもしれない、というわけだ。

  同じ<朝日>によれば、渡辺氏は「庶民性がカラー。栃木弁丸出しの率直な弁舌で大衆を引き付け、それをバネに頭角を現してきた」という。首相になれば、従来の日本の首相とはひと味違う、おもしろい存在になるかもしれない、との評も聞く。

  だが、渡辺氏にはたして日本の首相が務められるだろうか。
  問題はその“庶民性”の中身だ。大方の歴代首相とは違う「率直な弁舌」もおおいに結構だが、中身を検討せずに迂闊にほめるわけにはいかない。
  今回の「ひがみ根性」発言でみれば、所得税の最高税率を下げるべきだとの見解は一つのりっぱな政治的意見だ。だが、税率引き下げに反対する意見が「ひがみ根性」から出ている、とするのは「本当の話」でも何でもない。渡辺氏の単なる“決めつけ”にすぎない。所得税が高すぎるために日本を追い出された「金持ち」の話もあまり耳にしたことがない。
  中国には「ゼニのないのだけ残った」というのも根拠がない発言。上海などの都会には、富裕層がたしかに存在しており、中国の最近の経済運営上の方針転換を実務的に支えているといわれている。また、中国の相対的な貧困と日本の税制改革問題は、基本的に何の関係もない。この二つをあえて関連づける経済・政治感覚には首を傾げさせられる。さらに、渡辺氏の文脈に従えば、<中国の貧困は“ひがみ根性”が原因だ>と発言した、ととられても仕方がないところがある。ここまでくると、もう「本当の話」にはほど遠い。

  問題は、事実を踏まえず、相手のことを考慮しない、その場の“ウケ”だけを狙う、渡辺氏の粗雑な思考法だ。
  巷間の噂がどうであれ、“放言”だらけのいまの渡辺氏に日本国首相となる資格や能力があるとは思えない。政治家の“庶民性”と“粗雑さ”にはやはり区別があった方がいい。
  
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