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1988年8月16日

夢判断



  昨夜、久しぶりに<列車の夢>を見た。とはいえ、わたしが見るのは必ず<列車に乗り遅れる、乗り遅れそうになる>という夢だ。
  昨夜見たのは<いったん列車に乗り遅れ、さて、次の列車を捕らえれば“あれ”に間に合うだろうか、とあせる心で思案している>というものだった。―ところが、夢の中ではその“あれ”が何なのかが分からない。

  この種の夢を前に見たのがいつだったかは覚えていない。二十代には呆れ返るほどくり返して見たことは間違いないのだが…。

  ただ何かの始まりに遅れる、何かの時間に間に合わない、というのではない。例外なく、夢はいつも<列車>に<乗り遅れる>あるいは<乗り遅れそうになる>というものだ。不思議なことに、その乗り物がバスや飛行機だったことはない。いつも線路の上を走る列車なのだ。
  夢の中で、まれには<列車>に乗り込んだこともある。だが、乗り込んだ<列車>は決まって、思いとは異なる方向に向かって走り、わたしの不安を大きくした。
  乗り込もうとしている<列車>で自分がどこに行こうとしているのか、行った先に何があるのか、そこで何をしようとしているのかが分かっていたことは一度もない。
  どれとも知れない<あの列車><乗るべき列車>に乗らなければという思いがつのり、焦りと不安が極限にまで高まったころ、いつも決まって目が覚めた。

  こんな類の夢を精神病理学的に分析するのは簡単そうに思えていた。―実際の日常の暮らしぶり、生き方がどうであれ、要するにわたしは精神の片隅にいつも<現状に対する不満>を抱えていているのだ、違う現実に乗り換えたがっているのだ、だから、そんな夢をくり返して見るのだ、と断じれば、それが結論になりそうだった。
  だが、目覚めているあいだの現実の中では、自分が自分の生き方に強い疑問を感じていたという記憶はない。現状への不満のために悶々とした日々を送ったという事実もない。
  ただ、そんなわたしが<潜在意識>の領域では、実は日常の現実に不満を覚えていて、ついには夢の世界で「このままではだめだ。どこか違うところへ行かなければ…。さあ、いまだ。ほら、あの<列車>に乗らなければ…。“あれ”に間に合うように」と考えるようになった、というのはありそうなことだった。二十代の若者が潜在意識の中で<未来のどこかに向かって自己を駆り立てる>というのは、むしろ自然なことかもしれなかったのだから。

  そのころ、フロイトの<夢判断>と<精神分析入門講義>を読んだ。―当時読んだ多くの本と同様に、内容はほとんど覚えていない。事実上、ただ「読んだ」という記憶があるだけだ。
  だが、そのフロイトが<列車の夢>を、わたしの思案とは違って、<若者の現状打破への焦り>などではなく<死出の旅>願望とやらに関連づけていたことは覚えている。
  わたしが乗り遅れる、乗り遅れそうになるのがなぜ<列車>なのかは、その<死出の旅>説で理解できたような気がしたものだ。
  <列車>がその上を走る<線路>は、ある一筋の運命性を暗示していたに違いない。<線路>の先にあるはずの―わたしがそこに行かなければと焦燥しながらもいつも行き着くことができなかった―“あれ”は実は<死>だった…。
  大きな謎が解けたようだった。わたしはフロイトの夢判断に満足した。

  だが、最初の謎解きが新たな謎を生み出していることに気づくまでに長い時間はかからなかった。「では、なぜわたしは潜在意識下でそこまで<死出の旅>に捉われているのか」

  昨夜、久しぶりに<列車の夢>を見た。この夢にどんな意味があるのか、なぜこんな夢を見るのかは、結局、四十代になっているいまでも分からない。
  
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