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1988年8月19日

記事の大小



  新聞を読む。毎日読む。政治、経済、スポーツ、芸能―。分野を問わず、手当たり次第に見出しを眺め、写真を追い、関心を抱いた記事に目をとめ、読んでみる。
  ありがたいことに、記事の重要性はいちおう、その紙面での位置、見出しの大きさ、写真の扱い方など、総合的なレイアウトで知れる仕組みになっている。
  おかげで、世界の重要事件はめったなことでは読み落とさない。見出しを斜めに読み走っただけで、事件の大方の内容をつかむことさえあるぐらいだ。
  とはいえ、たまたま隣り合わせになっている二つの記事を比較してその重要性の大小をいちいち吟味する読者はまれだろう。読者は、結局は、新聞社の記事の扱いの大小に従って読み、世界の動きが分かった気になるしかない。
  だから、新聞社があまり重視しなかった事件や出来事の場合が困る。もっとよく知っておくべきだった重要ニュースを見落とした、ということも起こりえる。

  例えば、八月五日の日本のある新聞の夕刊第二面。トップは三段二行見出しで<イ・イ調停 専門家チームの報告書/安保理で説明へ>という記事だ。その隣の記事はずっと小さく、一段三行見出し。<日系人収容/謝罪が確定/補償法成立待ち>とあった。活字の大きさは違うが、そのまた隣の記事も一段三行見出しで<インサイダー取引/規制強化法案可決/米下院小委>という内容だ。<補償法>の扱いはほとんど<米下院小委>での可決と同様だった。

  同じ新聞の翌六日づけ衛星版の第三面には<米国にも補償要求/韓国被爆者>という三段一行見出しの記事があった。隣にあったのは<日系人収容で/謝罪と補償へ/米下院も法案可決>との一段三行見出しつきの記事だった。その隣は一段二行で<原水爆禁止世界大会/原水協系も開会>だ。<補償法>の扱いは<原水協も開会>に近かった。

  「イラン・イラク戦争の調停に関して、国連専門家チームが両国で調べてきた停戦実施に伴う技術的問題点についての報告内容を五日の安全保障理事会で説明する」のも「広島、長崎で被爆した韓国人が、米軍の原爆投下責任を追及し、在韓被爆者に補償するよう求めていく方針を決めた」のも重要な出来事だろう。だが、<イ・イ調停>が見出し三段二行、記事六十三行で、<補償法>が見出し一段三行、記事二十八行という扱いには首を傾げてしまう。<韓国人被爆者>が見出し三段一行、記事四十一行なのに<補償法>が見出し一段三行、記事二十六行というのも分からない。

  記事の扱いの大小をどうするかは、新聞社の裁量領域に属することだ。だから、それぞれ独自の判断で決めればいい。だが、それだけに、扱い方には新聞社の主観や価値観が出てしまう。
  <補償法>に関するこの二つの記事の扱い方を見ただけで、この新聞は米国の日系人の存在を軽視している、とは言わない。だが、あまり重視していないことは明らかだろう。
  補償法案成立後の記事はもっと小さかった。見出し一段一行、記事三十行に格下げさえされていた。十一日の夕刊で初めて、見出し三段一行、記事十九行とわずかに大きく扱われたことがせめてもの救いだった。

  日本の新聞社はこんな調子でいいのだろうか。
  <日系人戦時立ち退き補償法>成立は、日本と米国との狭間に生きる日系人には最大級のニュースだ。米国にとっても、人種にまつわる歴史上の過ちを正すという重要な意味を持つ出来事だ。日系人と<補償法>成立の意味をほとんど関心外に排除したような記事の扱いをしてきたこの新聞社に本当の米国が見えているのだろうか。

  日米関係の重要性が拡大しつづけている。記事の取り扱いの大小が気にかかる。
  
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