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1988年9月2日

レーガンの遺産



  ロナルド・レーガン大統領の二期目の任期が終わりに近づくに従って、新聞などで<レーガンの八年>を振り返る記事が目につくようになってきた。<ロサンジェルス・タイムズ>紙が「レーガンの遺産」というタイトルの回顧シリーズを展開している一方で、<デイリー・ニュース>も二十九日のビジネス欄で、レーガン経済が必ずしもうまくいかなかったことを短い記事で伝えていた。


レーガン大統領
(From:http://perdurabo10.tripod.com/themindofjamesdonahue/id106.html)

  <ロサンジェルス・タイムズ>の二十三日の記事の見出しは「経済革命に影を落とす巨額の負債」。レーガン大統領の経済運営の明暗両面を同時にうかがわせる表現になっていた。
  この記事によれば―。レーガン氏が大統領に就任した一九八一年との比較で、八八年までに大幅改善された点は@インフレ率:一二%を超えていたものが四・八%(八八年分は推定・以下同)A失業率:七%だったものが八二〜三年には一時一〇%近くまで上昇したが、五・二%とこの十四年間の最低水準に落ち着いたB貸出金利(プライムレイト):一五以上%が、五月に一・五ポイント引き上げられたものの、一〇%にとどまっているC就職機会:一千五百万人分が増加したD所得税率:数十年来の裁定水準を維持している、などだ。
  ミシガン大学のポール・マクラッケン教授によると、米国経済にこれほど影響を与えた大統領は、フランクリン・ルーズベルト以来なかったということだ。
  レーガン大統領の八年間で悪化した点はというと―。@財政赤字:七百億ドル程度だったものが、二千億ドルを超えた八六年のピークからは縮小したものの、一千五百億ドルに倍増し、累積負債に対する利子支払い額だけでも年間一千五百二十億ドル(連邦予算の一四%)になっているA貿易赤字:二百億ドル台が、八七年には一千七百億ドル、八八年には一千四百億ドルへと膨張しているB外国投資:一千億ドルのプラスが三千六百八十億ドルのマイナスに転落している、などがある。

  <サプライサイド経済学>と呼ばれたレーガン大統領の経済政策の特徴は、国内財政支出を削減して政府の役割を縮小し、民間の企業活動の活性化を図る、というもので、同政府の説明では、この措置により生産が活発にになり、ひいては税収が増加し、財政赤字が消え、インフレも収まることになっていた。
  確かに、インフレ率は低下しているが、この事実について<ロサンジェルス・タイムズ>は、<レーガノミクス>の成果というよりは、八一〜八二年の景気後退が直接の原因だとみている。景気後退で賃上げ要求がしぼみ、貸出金利が下がり、インフレが鎮まった、という見方だ。
  同紙は同時に、レーガン大統領の宣伝にもかかわらず、八一年の減税には投資を促進する効果はみられなかったし、生産性も上がらなかった、また、国民の貯蓄も増加しなかったどころか、逆に減少した、と指摘している。

  レーガン氏と八〇年の共和党の大統領候補指名を争ったジョージ・ブッシュ氏は当時、大幅減税、防衛費増大、均衡財政を同時に実現するというレーガン氏の公約を批判して、実現不能の<呪術経済学>と決めつけていた。
  レーガン大統領の減税は、現実には当初の計画をさえ大幅に上回るものとなり、防衛費の増加も大きかった。国内財政支出の縮小ぐらいではこれらの増大を埋め合わせることはできなかった。しかも、就任二〜三年目の景気後退で税収不足が深刻化し、予定外の社会福祉支出が増えた。その結果、八一年から八三年のあいだに、財政赤字は三倍にも膨れあがってしまった。
  
  米国人の“働き以上の暮らしぶり”が明確に見えてきたのだった。輸入が輸出を上回り、自分たちが生産する以上に輸入物資を消費する米国人の姿が明らかになったのだった。
  米国はいま、政界最大の債務国だ。共和党のブッシュ氏であれ、民主党のマイケル・デュカキス氏であれ、次の大統領には、財政と貿易の“双子の赤字”という大きな<レーガンの遺産>が残されることになる。

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