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1988年9月20日

日本人の英語



  日本の書店の<語学コーナー>に並んでいる英語・英会話学習用の一般向け教科書、参考書、実用書、雑誌、カセットテープなどの驚くほどの豊富さを見れば、日本人の“英語好き”のほどが分かる。英語を自国語とする国々を含めても、ここまで多種類の英語学習書が出版されている国はほかにはないのではないか、と思えるほどだ。

  歴史をたどれば、“戦後”だけでも、これまでに何度か英語ブームがあった。
  最初は米軍の日本占領時代だ。“民主主義”という新しい概念を吸収しなければならないという熱意と、占領下をうまく生き延びようという打算が、そのまま英語学習ブームを創りだした。紙不足時代の英会話テキストは、その内容も貧相なものだったようだが、特に都会では飛ぶように売れたという。
  二度目のブームは一九六四年に開かれた東京オリンピックの前に起こった。今度は、“民主主義”の代わりに“国際化”というかけ声に乗せられて、多くの日本人が書店に足を運んだ。
  いまのブームは、押しも押されもしないといった感じの日本の経済力が背景になっている。かつては外国や世界から何かを“学ぶ”必要に迫られて英語学習に駆り立てられた日本人がいまは、世界の中で“こんな地位を占めてしまった”日本の状況に急きたてられてまた英語に熱い視線を送っているわけだ。

  こうした何度もの英語学習ブームにもかかわらず、日本人の英語力の評判は相変わらず良くない。
  マーク・ピーターセンというアメリカ人が“日本語”で書いた<日本人の英語>という本(岩波新書)が日本でベストセラーになっていると聞いて早速、リトル東京の書店で買って読んでみた。
  「どうすれば英語の“頭脳環境”に入っていけるかを考え」ることがこの本を書いた目的だという著者は、特に「書く英語」について例文を豊富に挙げながら「日本人の英語」が抱えている問題を論じている。
  たとえば、不定冠詞<a>については―。
  「不定冠詞は具体的な一固体をなすものを表す名詞に付ける。したがって、単数普通名詞は特定の場合を除き不定冠詞をとる」という、日本で英語教育を受けた者には馴染み深い説明について著者は、名詞は不定冠詞<a>をつけられたことにより意味が決まるのであり、不定冠詞が名詞につくのではない、という。

  日本人の英語の常識はここで早くも崩されてしまうわけだが、著者の説得力のある説明で、読者は途方に暮れながらも、先へと読み進むことができる。
  そしてそのまますんなりと英語の“頭脳環境”に入っていければ、読者にとってこんなに幸せな本との出会いはないし、著者も目的を達したことになるのだが、現実には事はそう簡単に運ばない。

  外国語の“頭脳環境”にそう易々とは入っていけないことは、実は、著者自身が同書の中で“証明”している。「和英大辞典を壁に放り投げ、研究室の窓を開けて<日本語が嫌い>と(日本語で)叫んだ」という、著者の日本語修行時代の挿話がそうだ。そこで著者は「日本語に関しての不満を日本語で言ってしまった」ことを自画自賛しているのだが、そういう状況下では、この言葉「日本語が嫌い」というのは、日本語としてはあまり練られていない、“頭脳環境”を十分に日本語に馴染ませたとはいえない表現だといえる。たとえば「(ぼくをここまで悩ませる)日本語が(ぼくは)嫌い」といった具合に、いくらか言葉を補足しなければ意味が落ち着かないからだ。日本人ならこういう場合は、たとえば、「日本語は嫌いだ」あるいは「日本語なんて嫌いだ」「日本語なんか嫌いだ」などと叫ぶはずだ。
  いや、外国語習得はそれほど難しいということだ。

  それでも、<日本人の英語>一冊でもいいから、とことん読み切ることができれば、“英語好きの英語べた”な日本人がいくらかは減少するのだろうが―。

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