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1988年12月14日

女性宰相



  パキスタンの新しい首相に一日、パキスタン人民党(PPP)の党首、ベナジル・ブット氏が就任した。アジアでは四番目、イスラム社会では初の女性政権の誕生だ。同氏は三十五歳の若さでもある。


ベナジル・ブット氏
(From:http://www.liberal-international.org/humanrights/freedomprize.html)

  新首相は、八月に謎の飛行機事故で死亡したジアウル・ハク前大統領が陸軍参謀長だった一九七七年に起こしたクーデターで政権を追われ、二年後の七九年に絞首刑されたズルフィカール・アリ・ブット元首相の娘で、八四年から八六年までは自身も亡命生活を送ったことはよく知られている。八六年には、民主化要求集会に向かうところを逮捕され、ハク大統領の手で投獄されたこともある。
  ハーバードとオクスフォードで学んだ経験もある。本来“貧者の党”であるPPPの社会主義的色彩を薄め、対アフガニスタン政策でも、ハク政権当時と同様に、反アフガニスタン政府ゲリラを支持する姿勢を見せるなど、現実的路線に歩み寄って同党を総選挙で勝利させた政治感覚と手腕は、そんな外国体験から生まれたものといわれている。

  パキスタンの人口は日本とほぼ同じ程度の一億二千万人。国土面積は日本の二・一倍。パンジャブ人が六六%、シンド人一三%、パシュトゥン人が八・五%など、複合民族国家だ。国民の九七%がイスラム教徒で、十九世紀末からインド帝国の一部として英国の統治下にあったことから、ウルドゥー語のほかに英語も共用語に指定されている。第二次大戦後の一九四七年に、インドを挟む形で東西パキスタンとして英国から分離独立し、五六年から英連邦内の共和国となったが、七一年には、ベンガル民族主義を唱えるアワミ連盟の指導で東パキスタンがバングラデシュとして独立し、現在は、東がインド、西がイラン、北がアフガニスタンと接し、南がアラビア海に向かう、かつては西パキスタンと呼ばれた地域だけになっている。

  パキスタンの国民総生産は三百四十六億九千万ドル(八六年)。一人当たりでは三百五十ドル(同)だ。産業構造は、農業五三%、工業一九%、サービス二八%で、主な産業としては、織物、食品加工、化学、タバコなどがある。資源は天然ガスと鉄、コメ、小麦。八七年の輸出額は五十八億ドル。主な輸出相手国は日本(八%)、米国(七%)、中国(六%)で、輸入相手国はサウディアラビア(一五%)、日本(一二%)、クウェート(一〇%)、米国(九%)となっている。
  日刊紙の発行部数は人口千人当たり二十二部(日本は五百六十九部、米国は二百五十九部)。八五年の調査では、識字率は二六%だった。病院のベッド数は、ほぼ同程度の人口の日本が百五十三万床であるのに対し、約五万八千床に留まっている。

  ブット新首相は「私にとって政治は使命感だ」と述べている。政府の財政難は明らかだし、農業主体の経済の活性化は容易ではなく、困難な経済運営がつづくとみられている。
  ソ連がアフガニスタンに侵攻した七九年以来パキスタン領に逃れてきている大量の難民への対策の必要もあって、米国は八一年、総額三十二億ドルの対パキスタン軍事・経済援助を実施し、八六年にはその継続を決定している。ブット新首相にとっては、米国のこの援助は、父親を殺したハク前大統領への援助でもあったが、新首相はこれまでのところ、米国との関係は今後も変わりないと発言している。

  中東から南アジアにかけての政情不安定地帯に新たに、まだ政治的手腕が知られていない宰相が一人誕生した。

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