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1988年12月27日

汚職日本



  非公開<リクルート・コスモス>株の購入に関する疑惑で<NTT>の真藤恒会長が辞任した翌日、<ロサンジェルス・タイムズ>と<ニューヨーク・タイムズ>はともにこの事件に関する東京発の記事を掲載した。

  <LAタイムズ>紙は、日本電信電話公社として以前は公共企業体であったことから「<NTT>の社員は取り引き上の関係者から現金や有価証券の供与を受けてはならない」と定めた法が存在することを指摘し、<コスモス>株を受け取った同会長とその秘書は「明らかに」この法に違反していると断じ、東京地方検事局が<ルクルート>と<NTT>の関係をさらに調査している、と報じた。
  <NYタイムズ>紙の方は、発行株式評価額では世界一の及第企業である通信会社<NTT>の“愛顧”を求める<リクルート>から秘密裏に約八万ドルを受け取っていたことが発覚して<NTT>の真藤会長が辞任した、と書いた。
  両紙が“リクルート疑惑”を贈収賄事件と断定していることは疑いようがない。

  前日の十四日には<ウォールストリート・ジャーナル>紙がレーナー東京支局長の報告を載せていた。
  「よその国での出来事で最も理解しにくいものにスキャンダルがある」と書き出したレーナー氏は、“リクルート疑惑”はしかも「独特にどんよりした国の独特にどんよりとしたスキャンダルだ」と“注”を振っていた。
  「世界の中で日本の影響力が増したことにより、日本のスキャンダルは日本だけのものにとどまらなくなった」と多くの外国人が指摘する中、レーナー氏が心配するのは、経済紙<エコノミスト>が指摘した「国内でこれだけの規模の政治的贈収賄事件を起こす日本は、外国との政治的接触の過程でも同じことをやりはしないか」との疑問を世界が共有し始めるのではないか、ということだ。
  レーナー氏がこう書いたときにはすでに、同氏周辺の外国人記者たちの中には<エコノミスト>と同様の見方が浸透していたのかもしれない。

  “流行好き”の日本人が当初この事件を、米国で多発している類の、単なるインサイダー取り引き事件と見なしたことにも、レーナー氏は首を傾げている。株を贈与された者がそれを売れば、現金を受領したのと同じになることは言うまでもない。「分かりきった単純なことだ」と同氏は言う。“リクルート事件”がもし米国で発生していたなら、米国の検察は直ちに“贈収賄”に焦点を絞って捜査に着手していたはずだ。
  レーナー氏が理解できないのは、<コスモス>株を受け取った政治家たちの法的責任よりは倫理的責任の方が日本では重要視されているらしいことだ。この事件は同氏の目には倫理の問題とは見えないのだ。

  政治にカネがかかるのは米国も日本も同じらしい。そして、そのカネは企業や特別な利益が絡んだ圧力団体からの献金で賄われる。企業や団体が献金したという事実を政治家たちに「覚えておいてほしい」と思うのは当然だ。だが、米国では企業献金に対する規制は強いし、献金リストの公開が厳しく義務づけられている。
  一方、日本では、現金の流れにはいちおう目を光らせているようだが、そのほかの贈り物には甘い仕組みになっている。クルマや秘書の提供といった、企業から政治家への便宜供与は恒常化している。こうした状況の中で、日本の政治は常に汚職事件に発展する危険にさらされているのではないか。

  日本の政治制度は汚職を生み出す構造の上に成立している、とレーナー氏は見ている。制度が汚職を生み出している、というのだ。
  現在の制度の中で政治家ら個々人の倫理観を問題にするよりは、もっと有効で悪用されにくい政治資金収集制度を考案するべきではないか―。レーナー氏は報告をそう結んでいる。

  日本政治史上で最大規模の汚職事件ともいわれている“リクルート疑惑”の渦中の人物たちに対してこれ以上理解のある見解はない、と見るか、いまの日本の政界には自浄能力がないと見限られているのだ、と見るか―。

=参考サイト=

 リクルート事件 (<YOSHI’S HOME PAGE>より
(From:http://www009.upp.so-net.ne.jp/yosi_woods/index.htm)


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