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1989年1月9日

「昭和」の終焉


  <時事通信>ロサンジェルス支社から「天皇陛下危篤」の、電話による第一報が入った六日午後は、そのほんの少し前に、たまたま五日と六日づけ<朝日新聞>(衛星版)の次の二つの記事をつづけて読んでいた。

  「本島事務所のドアなどに傷 戦争責任発言に反発か」 天皇の戦争責任に触れた発言をした長崎市の本島等市長の後援会事務所の郵便受けなどが壊され、事務所入り口の鉄製ドアが傷つけられているのが、三日分かった。長崎署は、市長の発言に対するいやがらせによる器物損壊事件とみて四日から本格的捜査を始めた。

  「長崎市役所にナイフの右翼 “本島市長に会わせろ”」 長崎署は五日午後、長崎市桜町の同市役所で、ナイフを携帯して本島市長に面会を迫った福井市下荒井町、右翼団体構成員斎藤正人(二五)を銃刀法違反と建造物侵入の現行犯で逮捕。「天皇の戦争責任はある」という本島市長の発言に抗議する右翼関係者の暴力的行動は三件目。同市役所では、市長の発言後、右翼団体などの抗議行動が続き、市側は秘書課入り口前に受付を設け、市長への面会者に対応している。

  「危篤」第一報から一時間あまりあとに<時事通信>から「天皇陛下崩御」の知らせが入った。
  半ば以上できあがりかけていた六日づけ本紙の記事差し替えや組み換えに忙殺されるなか、「天皇崩御〜本島発言〜右翼の脅迫」というひとつながりの三つの出来事が何度か筆者の頭に浮かんでは消えた。
  「昭和」の終焉。長崎発の二つの小さな記事の中にもあふれるほどの「昭和」が見える気がしていた。

  <ニューヨーク・タイムズ>が先月二十九日、「ヒロヒトに戦争責任はないのか? タブーに挑戦する危険」と題する長崎発の記事を掲載していた。「長崎市長を殺すとだれかが脅し続けている」という刺激的な書き出しになっていた。
  同紙は本島市長を、第二次世界大戦における天皇の戦争責任を公然と口にしたことによって「日本で最もデリケートなタブーを破った人物」と紹介し、この発言後、ガソリンが入った缶を持って市長の事務所に押し入ろうとした男がいたことや、右翼が市長とその家族を脅迫していること、日課の散歩は危険だと警察が市長に警告したことなどを伝えている。
  <ニューヨーク・タイムズ>の記事はまた、「市長を攻撃したのは右翼だけではなかった。政権党である自民党も、本島市長の同党長崎県連顧問という資格を剥奪したうえ、その政策遂行にも協力しない方針を決め、同様に市長を攻撃した」と述べ、“天皇問題”は日本では「まだ複雑で未解決」なまま残されている、との見方を示した。
  一連の事件の成り行きの中に同紙が見たのは「日本の民主主義が抱えている異常さ(変則性)」だ。高度な緊張を含むいくつかの問題、例えば“菊のタブー”などに触れないようにするためには言論の自由の原則にも制限が加えられる、という暗黙の了解がまだ日本にはある、というのがこの記事の結論だった。

  日本の民主主義の成熟度がここでも問われていたわけだ。

  新元号が「平成」(へいせい)と決まった。竹下首相は談話で「この<平成>には、国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味が込められている」と説明している。

  とりあえずは、本島長崎市長の周辺で今後何が起きるかに注目していたい。

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