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1989年1月12日

海外の論調


  十日づけ<朝日新聞>(衛星版)の企画・開設欄に「戦争責任めぐり厳しさも 天皇ご逝去で海外マスコミ」との見出しがつけられた記事があった。米国、韓国、英国をそれぞれ代表する新聞である<ニューヨーク・タイムズ><東亜日報><ザ・タイムズ>の三紙が天皇逝去についてどのように報じたかをまとめたものだ。
  記憶にとどめておきたい指摘がいくつかあった。

  <ニューヨーク・タイムズ>は「一九三〇年代に彼が軍国主義政治化を消極的にせよ受け入れたことは(日本国民にとって)決して福音ではなかった。その至高の地位からすれば、世界が際限のない悲劇から免れることに寄与できたかもしれない」と述べて、昭和天皇を回顧するとき、今後長くついて回るに違いない、重要で根源的な“問い”を提出していたようだ。

  <東亜日報>の論調はストレートなものだったらしい。「われわれは感傷的な哀悼を送る前に、彼が率いた一時代を振り返り、『天皇制』の歴史的責任を問わざるを得ない」とし、「いくら否認しても宣戦布告が彼の名でなされたという事実は否定できない」と述べているということだ。
  また、朝鮮植民地支配について日本が“遺憾”と表明しただけで、公式謝罪を行っていない点に触れ、「ドイツやイタリアとは異なる戦後処理だ」と、不満を隠していないという。


昭和天皇
(From:http://www.csun.edu/~rsh58410/history192.htm)

  だが、注目するべきことは、故天皇の戦争責任を同紙が“個人”としてよりは“制度”として一層強く追及している点だ。「日本人のかなりは依然として彼の国家元首格と神格を認めたがっている」との指摘からもその姿勢を読み取ることができる。同紙が問題だとしているのは、過去の責任というよりはむしろ、“天皇制”を礎にして将来起こされるかもしれない戦争に対する責任だ。「再び戦争挑発と植民地支配の歴史が繰り返されてはならないという意味で、そして、再び首をもたげ始めた『皇国思想』と国家主義を抑制する意味で、われわれは日本の最近の動向を注視し、また、警戒せざるを得ない」と同紙が述べるとき、そこで問われているのが、実は、現在の日本人が抱えている“可能性としての戦争責任”であることはいうまでもない。

  <東亜日報>のその指摘は、必ずしも、韓国が日本の植民地支配を受けたという“特殊事情”から生まれたものではないようだ。
  英国の<ザ・タイムズ>もまた、現在の日本人の責任を問いただそうとしている。同紙は「ヒロヒトが戦後も天皇であり続けたことは、日本人の戦争への罪悪感を軽減させ、西独がいまも悩んでいるような過去へのこだわりから解放することになった」とし、さらに、「ヒロヒト個人が果たした役割については、今も覆い隠されたままだ。西欧の目には、これは集団的な責任隠しとも映る」と断じている。
  戦後、天皇と直接交渉する機会を持ち、その後日本の復興を助け、日本をアジアにおける優等生、世界の経済大国に育てたという思いが抜けきれない米国とは異なり、日本とは一定の距離をおきながら、自らは長く立憲君主制を敷く英国が、戦前の天皇制と戦後の象徴天皇制とが抱えている問題に敏感なのは当然だといえる。
  新天皇の人柄について<ザ・タイムズ>は「いかに彼が親しみやすさを増そうとも、宮内庁官僚の保守性が、それを妨げている」と明言し、天皇制を含めた君主制そのものが「極端なナショナリズムにつけ込まれやすいところでもある」とも指摘しているという。
  王権との長い権力闘争の末に現行制度を戦いとった英国の歴史と知恵が、そこに見える気がする。

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