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1989年3月6日

神道と日本


  【神道】 (もと、自然の理法、神のはたらきの意)わが国固有の民族信仰。祖先神への尊崇を中心とする。古来の民間信仰が、外来思想である仏教・儒教の影響を受けつつ成立し理論化されたもの。明治以降は神社神道と教派神道(神道一三派)とに分かれ、前者は敗戦まで政府の大きな保護を受けた(<広辞苑>)
  【神社神道】 一般に神社を中心とする神道をいい、社の管理に当たる神職とその祭儀を支える氏子によって構成される。(略)その歴史や縁起は記紀(古事記・日本書紀)などの古典神話をよりどころにしている。(略)全国で約八万ある神社は、戦前は国家や地方行政機関に組み込まれていたが、戦後派宗教法人となり、そのほとんどが伊勢の神宮を本宗とする神社本庁に包括されている(<イミダス>一九八九年版)
  【国家神道】 戦前に政府が主唱した、国家と皇室を中心におく神道。神道は宗教ではないとする明治憲法は皇室の祖廟としての伊勢神宮と国家を結びつけ、神社神道をもその翼下におき、神社祭祀を国民の道徳上の義務として、行政的に教派神道を分けた。戦後、占領軍は神道指令を出し、軍国主義・超国家主義と一体であったとして国家神道を解体した(同)
  【神道指令】 一九四五年一二月にGHQが日本政府に発した、国家神道の禁止と政教分離の徹底的な実施を命じた指令(<広辞苑>)

  先月二十四日に行われた昭和天皇の「大喪」は、テレビや新聞などでその様子が米国にも大きく伝えられ、改めて、神道と日本との関わり方に強い関心が集まった。
  「大喪」前の二十三日には<ウォールストリート・ジャーナル>紙が大一面で神道を取り上げ、「この宗教は今日では重要なものではなくなっているが、一部ではまだ国家主義を復活させる力があると恐れられている」と紹介、「神道は戦争のためのイデオロギーか」という古くて新しい問題を改めて提起していた。
  同紙は、「政府は明言していないが、(首相や閣僚たちは)いまでも天皇を神聖視し、政府の仕事はすべての国を天皇の影響下に入れることだと信じている」という一キリスト教徒の意見については「極端な見解だ」とし、そんな意見は「ごく少数の日本人の支持しか集められないだろう」と述べながらも、一方で、「天皇をエンペラーとしたのは誤訳だ。プリースト・キング(祭司王)とでもすべきだった」とする評論家、加藤英明氏の考え、および、「神道を抜いては天皇は論じられない」との上田・国学院大學教授の説を取り上げて、天皇を神聖化する考えは日本にまだ強力に存在する、と伝えている。
  同紙はまた、天皇と神を同一視する考えについて、天皇は一九四六年の“神性否定”の際にも、自らが(日本的な意味での)カミであることを否定する意思はなかった、とする神社本庁関係者の主張や、滞日三十六年のあるメソジスト派外国人の「国家主義が日本の宗教だ」との意見を紹介している。
  東京からここ記事を送ったアーバン・レーナー記者自身の意見は「日本人政治家たちは自分たちの目的達成のために天皇を利用してきた。幕末以降、初めは将軍排除の口実に使い、次には経済的・軍事的基礎固めに利用した」というものだ。

  天皇が神道と結びついて改めて神に接近した明治からあとの日本史を、“戦後”の評価を含め、日本人はまだ書き終えきっていない。

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