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1989年4月13日

ノース氏の変貌


  ワシントンの連邦地方裁判所で行われている<イラン・コントラ>秘密工作事件裁判で、中心人物、オリバー・ノース海兵隊中佐/国家安全保障会議(NSC)元軍政部次長側の作戦の基本が大方明らかになった。
  ニカラグアの反政府ゲリラ<コントラ>を援助するために同氏が行った資金集めや武器供与はすべて、ウィリアム・ケーシー氏(当時の中央情報局長官・故人)と国家安全保障担当大統領補佐官で、ノース氏のNSCでの直接の上司だったロバート・マクファーレン氏、さらに、マクファーレン氏の補佐を行っていたジョン・ポインデクスター氏の三人に命じられたものと主張する、というものだ。ノース氏は、リチャード・シーコード退役空軍少将からも指示を受けたとしている。

  六日の裁判では、ノース氏は陪審員に向かい、「自分から足を突っ込んだのではなく、引き入れられたのだ」との釈明を展開していた。検察側はノース氏を「自分の権限を勝手に拡大しながらレーガン政府の<コントラ>秘密援助計画を動かした熱狂者で、その活動について議会に虚偽の報告を行ったうえ、証拠文書を処分するなどして議会調査を妨害した人物」として捉えており、ノース氏側はこれに真っ向から対立する構えだ。

  だが、ノース氏の同日の証言によると、例えば、<コントラ>援助活動で同氏の手助けをする人物の名前を同氏に伝えたのはケーシー氏、<コントラ>に武器などを供給するための兵站(たん)網の作り方を教えてくれたのはシーコード氏だったという。

  命令を実行しただけだということの証明に必要だとしてノース氏側は先月、四月三日から始まる弁護側証人喚問の初めにレーガン前大統領の証人出廷も要求していた。必要性が認められないとして、連邦地裁のゲゼル判事はこの要求を拒否したが、ノース氏側の狙いは、レーガン前大統領の出廷やそれに匹敵する価値を持つ重要文書の証拠採用が、国家機密を守る必要上「不可」となることにより、同氏を有罪とするに十分な証拠が不足しているとの印象を陪審員に植えつけることにあったと思われる。

  十一日の<USAトゥデイ>は「調子を落としたノース」との見出しをつけて、「テレビ放送された一九八七年の議会公聴会で、刑事免責の保証を受けて、勲章のリボンを飾り立てた海兵隊のグリーンの制服姿で挑戦的な証言を行ったあの海兵隊中佐はもういない。ブルーの背広を着て連邦裁判所の証人席に座るノース氏はいま、<イラン・コントラ>秘密工作事件で科せられるかもしれない合計六十年の拘禁と罰金三百万ドルの刑にびくついている」という具合に現在のノース氏を描き出していた。


オリバー・ノース氏
(From:http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/newsid_332000/332076.stm)

  同紙が見るところでは、ノース氏は「まるでレーガン政府によって傷つけられた人物であるかのような哀しみの表情で」証言を行っているという。
  それについて、司法評論家のサリー・タンフォード氏は「愛国主義に訴えるのはテレビ視聴者には効果的だろうが、法廷内では逆効果となるだろう」とノース氏の法廷戦術を分析している。

  上院の<イラン・コントラ>秘密工作事件調査特別委員会(ダニエル・イノウエ委員長)が全米でテレビ放映されていたころ、ノース氏は一部国民に“米国の正義実現のために敢然と秘密工作に乗り出した英雄”と見られていた。上司をすべて“悪者”にするいまの同氏に当時の面影はない。現在の法廷戦術は“英雄”視される“虚”よりは罪を逃れる“実”を取りに出たものといえよう。

  もともと<コントラ>直接援助を禁じた議会決定を無視して遂行されたこの秘密工作事件には、初めから“英雄”など存在しようがなかったのだろう。
  アラバマ州モービルで十五日に計画されていたノース氏の講演会は、ティケットが四百枚しか売れなかったために中止されたという。

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