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1989年6月12日

および腰外交


  日本政府は七日、外務省の村田良平事務次官が中国の楊振亜駐日大使を同省に呼び、中国政府・人民解放軍戒厳部隊による民衆の大量殺傷事件について、「人道上の見地から容認し得ない」という内容の政府見解を公式に伝えた。
  ブッシュ大統領が米国政府の方針として早くも五日には、同事件を解放軍による「民主化要求運動に対する野蛮な抑圧」と決めつけ、政府と民間企業による対中武器売却およびその他の品目の政府間輸出を停止したのに比べ、ずいぶん遅い立ち上がりだった。
  フランスのミッテラン大統領もすでに、「(民衆を武力弾圧するような)中国政府に未来はない」と断言していた。
  日本でも、財界は六日、経済同友会の石原俊代表幹事が同事件について「人道問題であり、欧米各国政府は厳しく批判している。日本政府もきちんと対応すべきだ」との意見を表明していた。

  宇野首相の最初の反応は五日、「憂慮にたえない。平穏になることを祈っている」という見解となって表れていた。現実的な外交感覚も民主感覚もない、および腰だけが際立った、実に粗末な対応だった。そのおよび腰を翌日の記者会見で突かれた同首相は「日中関係は米中、英中などの関係とは違う。私は外相のとき『四十年前、日本が中国を侵略した』と言っている」などと述べ、世界に類を見ない日中関係の“特殊性”を協調して、対応に慎重にならざるを得ない事情を間接的に説明した。


宇野宗佑氏
(From:http://www.jimin.jp/jimin/jimin/ayumi/ayumi.html)

  日米貿易交渉の際に、自由貿易に関する日本政府の対応の原則が問われているとき、常に“日本の特殊事情”を主張して本質的回答を避けとおしたクセがここでも出たと見える。
  今回日本政府が問われているのは、ほかでもない、“民主主義”に対する基本的な考え方だ―ということが分からず、いまでは世界に耳を貸すものがいなくなった“困ったときの特殊事情頼み”にまた走ってしまったというわけだ。

  七日の『朝日新聞』によると、外務省幹部のあいだには、仮に日本が不用意に中国を非難したりすると「中国の指導部内で『日本はけしからん』と、学生らの不満を日本に振り向ける可能性すらあり、そうなったら大変なことになる」との懸念が強かったという。“不用意な中国非難”を避けなければならないことは言うまでもないが、宇野首相がしばらく大臣を務めた外務省の幹部にもどうやら、中国の現状に関して何を批判すべきかがまるで理解できていなかったようだ。

  財界人には、日本政府に“きちんとした対応”を求める理由が、少なくとも二つあった。
  まず、楊尚昆国家主席と李鵬首相らがとっているとされる保守・強硬路線の下では、どの道にしろ、中国の膨大な潜在市場を十分に活性化し、そこに日本企業が参入していくことは難しいと思われること。他の一つは、趙紫陽氏らにつながる民主化推進派に対する“認知”で米国などに遅れをとっては、例えば、ケ小平・中央軍事委員会主席の死あるいは失脚などを経て遠くない次期に訪れるかもしれない“民主化された中国”への日本の進出に支障が出かねないことだ。
  中国民主化に対する支持表明は日本の財界にとっては欠かせない政治的ステップというわけだ。

  日本政府は少なくとも七日までは、財界が持っていたこの程度の見通しさえ立てることができずにいた。「『日本はけしからん』と、学生らの不満を日本に振り向ける」という認識からは、外務省が日中間の過去の交渉から何一つ学んでいないことがよく分かる。相変わらず“中国は無理難題を仕掛けてくる国”という頭しかなかったのだから。

  日本政府が七日に遅れ馳せながら中国に伝えた“見解”には、「人道」という言葉はあっても、「民主」という言葉、考えは見当たらなかった。日本政府の“および腰”が民主主義それ自体に対するものでなければいいが―。

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