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1989年7月10日

援助の目的


  日本がまだ<世界銀行>の資金借り入れ国の一つだったのはほんの二十五年前のことだ。
  その日本がいま、世界最大の対外援助国となっている。一九八八年から九二年までの総援助額は五百億ドルに達する見込みだという。対フィリピン援助だけを見ても、日本は米国の三倍近い額を提供することになっている。

  だが、対外援助は額が大きければいいというものではない。
  援助が直接その国の貧困層を助け、実際に経済開発を促進しているかどうかが問われるのだ。日本の援助は道路や施設などの建設に走るあまり、相手国の政治家や(日本の)企業は富ませても、貧困層には十分届いていないのではないか―。

  日本の対外援助が増大するにつれて、そのような批判が増えている。
  『ウォールストリート・ジャーナル』紙は三日、第一面に「投げ銭」との見出しをつけた対日批判記事を掲載した。「日本はまだ、対外援助の目的が分かっていないのではないか」という内容だ。
  例えば、中国、インドネシアに次いで日本の三番目の援助先となっているフィリピン。他の多くの開発途上国と同様に、この国にも「パイプライン・プロブレム」があるという。援助を決め、それを実施しようとしても、相手国の官僚組織が手続きを滞らせて、援助の遂行に遅れが出るという問題だ。
  だが、もっと問題とすべきは個所は別にあるそうだ。
  例えば、ルソン島中部のある村では、日本の援助で道路がコンクリート舗装されたが、舗装道路はコメの乾燥用に使用されるだけ。靴をはく人が少なく、クルマを持つ人は更に少ないこの村では、太陽に照らされて土以上に熱くなったこの舗装道路を裸足で歩く人はほとんどいないという。

  日本の援助システム自体にも問題があるらしい。昨年の対フィリピン援助額はおよそ十億ドル。マニラの日本大使館では二十五人の職員がこの処理に当たった。米国はこれより小さい額を二百人近くで処理している。日本の人不足はどこでも深刻で、タイでは、日本が建てた学校でフランスが授業を提供している。そのため、地元住人は、この学校はフランスの援助で建てられたと思い込んでいるという。

  日本の援助資金が、施設建設を請け負った日本企業に還流するという傾向はフィリピンでも顕著だ。「日本企業が請け負わない援助計画はまれ」(エルミニオ・アキノ議員談)なほどだ。
  そして、その実態はどうかというと、マニラの交通混雑解消を目指して建設された通勤用軽鉄道では、保全・修理態勢が十分に整備されなかったために、数十台の車両が打ち捨てられたままになっているそうだ。―これで、日本の援助は活きている、と言えるだろうか。
  「われわれは援助計画に未経験で、計画遂行のための人も不足していた。そのために、問題があれば、一番簡単な方法として、多額のカネを放り込んできた。だが、徐々にやり方を変え始めているところだ」という、援助計画実施現場の日本人の声もあるというが―。

  『朝日新聞』(三日)によると、大手商社<丸紅>がアフリカのウガンダで、世界銀行融資による電気通信事業をいったん落札しながら、その後契約を停止されたことに抗議して、同国政府に対し「裁定しだいでは、“日本の”今後の対ウガンダ援助にも影響があろう」という趣旨の文書を送りつけて“圧力”をかけていたそうだ。
  「急増する政府開発援助(ODA)の威を借りた“援助大国日本”の態度に反発が強まっている」と同紙は警告している。

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