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1989年8月3日

「論」の難しさ


  小東京で開かれた講演会で、作家林真理子氏の話を聞いたことがある。
  少女時代からの希望を叶えて物書きとして成功した林氏の自由奔放な人生論を、楽しく聞かせてもらった。作家とはこうあるべきだなどという旧世代の先入観を突き崩しながら、時代が求める大衆文学界のスターとしての地位を固めつつあった同氏の精神の高ぶりがほとばしる面白い講演会だった、と記憶している。


林真理子氏
(From:http://members.tripod.co.jp/aoyamasai/2001/kouenkai.html)

  その林氏が最近、『週刊朝日』に「政治に女を持ち込むな」と題する文章を書いていた。
  「女」の問題に関しては、林氏が以前から、“仕事場にわが子を連れ込むタレント”アグネス・チャンさんを批判する形で多く意見を発表していることは聞き知っていたが、ここでは消費税の問題にも触れながら、先の参議院議員選挙に出馬した女性候補者たちを相手取り、大上段に構えて批判の剣を振り回すというやり方で、チャンさん相手の論争とはかなり様子が異なっていた。

  もちろん、だれが政治を論じようと、それに反対はしない。「政治に女を持ち込むな」との主張も一つの見識を示すものと考える。
  だが、林氏のこの文章には、根拠のない決めつけと詭弁が目立ちすぎた。
  例えば、「豊かな社会の選挙を動かす大きなもの、政策や理念よりもはるかに大きい“気分”というものにおいて、社会党は既に勝っていたのである」と林は断言している。だが、豊かな社会では“気分”が政策や理念より大きい働きをする、と言い切るのは簡単ではない。日本だけではなく、米国や西独、フランスや英国など、世界の“豊かな”国の選挙でも、投票が“気分”に支配されて行われていることを証明しなければ、この断言は説得力を欠いてしまうからだ。

  西独ではこのところ、環境問題が各レベルの選挙で重要な争点となっている。米国でも事情は同様で、昨年の大統領選挙で、当時のブッシュ候補は「私は環境保護主義者だ」と宣言しさえした。先の先進国首脳会議でも、次世紀まで持ち越される人類の重要課題として環境問題が協議された。将来の政策変更につながるこうした流れの基礎となっているのは各国民(有権者)が抱いている深刻な危機感だ。けっして浮ついた“気分”ではない。
  「豊かな社会の選挙を動かす」のは、政策や理念よりはむしろ人々の間に漂う“気分”だという断定こそが、参院選の熱気にあてられた林氏自身の“気分”の産物だったように思える。

  「消費税というのは、それほど諸悪の根源なのであろうか。成立の仕方や細部に不備は多いが、世紀の悪法とはどうしても私には思えないのである」と林氏が言うとき、ここにもある種の詭弁が感じられる。
  今度の選挙で多くの国民が自民党以外に投票したのは、消費税そのものが「世紀の悪法」「諸悪の根源」だと信じたからだ、というのは林氏の決めつけにすぎないのではなかろうか。国民には、「悪法」かどうかを知るための時間と情報さえ与えられず、議論の機会も制限されていた、というのが実情だったように思える。
  有権者が反自民の姿勢を鮮明にし、消費税反対を叫ぶ多くの女性候補を当選させた最大の理由は、実は、消費税が「成立の仕方や細部に不備が多い」まま強硬実施された点にあったはずだ。林が「国の累積赤字」を懸念する自分の「少々の視野の広さ」を自慢し、消費税を擁護するのはいっこうに構わない。だが、一方で、大事な政策変更に際して国民に十分な説明をしようとしない政府・与党に―票を投じないという形で―異議申し立てを行うのも、民主主義の将来を憂えのことだという意味で、十分に「視野の広さ」を示す行為だと言える。

  <消費税を「正規の悪法」だと妄信する国民がおかしな“気分”に乗せられた末に、甘えた考えで政治に「女」を持ち込んだ女性候補者たちに投票してしまった>というのが今回の参院選だ、といわんばかりの林氏の分析は、やはり、いただけない。
  周到さを欠いた論では、しばしば書き手の独善だけが見えてしまう。書き手がスター作家であろうと、それは同じだ。
  公に論じるというのは簡単なことではない。

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