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1989年8月9日

「ですが」症候群


  「初めのニュースなんですが、横浜市内の山下公園沖で二日夜開かれた花火大会で、花火業者が二人死亡するという爆発事故が発生しましたが、この事故原因なんですが、現場検証した横浜水上署の見方なんですが、花火の玉が上がらず、打ち上げ管の中で爆発し、周囲の花火が誘発したものとの見方を強めていますが、調べによりますと、山下公園の沖合いに繋留していた台船三隻から花火が打ち上げられていましたが、花火業者XXさんらがこのうちの一隻から五寸玉を打ち上げようとしましたが、このとき鉄製の打ち上げ管一本の下部から火が噴き出しましたが、この火が、台船上にあった一尺玉四十発など計三百五十発に移り、次々と誘発しましたが、このためXXとYYさんの二人が死亡しました―」
  日本のテレビキャスターやアンカーパーソンのあいだに“「ですが」症候群”とも呼ぶべき現象が見られる。
  “症状”は、節の区切りを明確にせず、書く文章なら本来<。>で区切るはずの個所を「―ですが」「―ですけれども」「―ますが」などと受けて、たいていは短い<つなぎ>を挟んで、言葉を次の節にだらだらと流していく、というものだ。それを誇張して表すと文頭の例文のようになる。

  ロサンジェルスで放送されている日本のニュース番組からだけでは、この“「ですが」症候群”の日本での広がり状況を正確に把握することはできないが、キャスターたちの「ですが」の使用頻度から判断すると、この“症状”はかなり広く蔓延しているものと推定することができる。

  “「ですが」症候群”の流行原因についてはすでに、社会学者や言語学者数人がそれぞれの立場から意見を述べている。だが、十分に納得のいく説明はまだなされていないようだ。
  ただ、“患者”“感染者”を多く出しているのが、テレビ局が育てた、いわゆるアナウンサーではなく、<しゃべり>について特別な教育・訓練を受けたことがない人物であることが多いことから、この症候群は、テレビ局の人材育成努力の不足を突いて流行し始めたものだとの見方が定着しつつあり、その原因解明の遅れにもかかわらず、“治療”は困難ではないと思われる。

  最も効果が高いと考えられる“治療方法”は、言うまでもなく、キャスターやアンカーパーソンの再教育だ。その知名度や人気に囚われず、<しゃべり>の基礎教育を受け直させるだけで、“病状”悪化が著しい“患者”でも、かなりの回復が期待できるだろう。
  “予防”方法としても、採用予定の人物に対する基礎教育の徹底と採用後の定期的な再教育の実施が有効なはずだ。

  “「ですが」症候群”の発生原因に関する説明のうちで最も説得力があると思えるのは、<しゃべり>の素人が自分の能力への不安を、言葉尻をあいまいにすることで、無意識のうちに隠そうとしているのだ―というものだ。
  この症候群は社会的に有害である、と断定するのは時期尚早であるかもしれない。だが、この“病気”はテレビを媒体にしている。社会への影響はけっして小さくないはずだ。このまま放置していては、大半の日本人が区切りが明確でない日本語を話し始め、ただでさえ文意があいまいだとされることが多い日本人の会話が―特に外国人にとって―さらに分かりにくくなる恐れも十分にある。

  言葉は生き物であり、時代とともに、人々の精神の変化につれて、移り変わるものだという。
  それでも、これが単に、必要な教育を行うという当然の義務をテレビ局が果たしていないから起きている“日本語の乱れ”だというのなら、そのまま受け入れたくはない気がする。
  
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