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1989年8月17日

「国家の体面」


  昨年四月二十二日の社説で「大戦後に生まれた米国人には古代の出来事のように聞こえるかもしれないが、この不正義を償うことは<自分たちは間違ったことはしていない>という、日系人の長い間の主張が正しかったということを公式に認めるという点で、重要な意味を持つ」と主張して、日系人立ち退き補償法の成立を支持した『ロサンジェルス・タイムズ』が十五日、今度は次のような社説を掲載した。
  米国は四十七年前、約十二万人の日系人を戦時収容所に閉じ込め、その市民的自由を徹底的に傷めつけた。だが、正義に反する行為としてその強制収用を認め、被害者に対して補償を行おうという提案がまとまるまでには、言い訳ができないほど長い時間がかかってしまった。被収容者のうち現在生存している六万人に、一人二万ドルを支払うことを議会が決めたのは昨年のことだ。


マンザナー収容所(転住所)
(From:http://www.americasstory.com/cgi-bin/page.cgi/aa/lange/relocation_2)

  この補償には(謝罪意思の)象徴的な意味ぐらいしかないにもかかわらず、この補償約束さえが、いましだいに空しいものに見え始めている。自由と巨額の財産が失われたことへの代償として生存者に支払われる金額は全部で十二億五千万ドルと見積もられているというのに、現実には、そのほんの一かけらが用意されているだけだ。
  下院は先に、十月一日からの新会計年度で五千万ドルを支出することを承認したが、これは、補償受け取り有資格者の五%すらカバーできない額だ。五千万ドルは、ブッシュ大統領の当初予算二千万ドルを上回るものだが、来月この問題を審議する上院では、財源不足を理由に、二千万ドル以下に削減される可能性も残されている。

  補償金は高齢者から優先的に支払われる。ロバート・マツイ下院議員(民主・サクラメント)によると、この方法では、すぐにも受け取ることができるのは八十七歳以上に限られるという。昨年に補償実施が決まったときからでも、すでに二千四百人もの受け取り有資格者が死亡している。補償計画が現在のペースで進めば、数万人が保証金を見ずに死んでいくことは、保険統計の名人でなくともすぐに分かる。
  そうなっては、収容政策が日系人に与えた大きな損害と侮辱に、またひどい不公平さをつけ足してしまうことになる。

  被収容者の多くが米国人だった。後に勇気を胸に、栄誉とともに米軍兵士として戦場に赴いた者も多かった。
  日系人を強制的に遠隔地に転住させたことは、戦時ヒステリーの最悪の表れだった。日系人を潜在的なスパイ、破壊工作者と見なしたのも、根拠のない恐怖心に怯えたからにすぎなかった。その恐怖心が、当時広がっていた人種的偏見の産物であったことは明らかだ。ドイツ系人やイタリア系人を日系人同様に大量収容しようと検討されたことはなかったし、そんな考えがまじめに提案されたこともなかった。

  補償が十分に行われない理由は財源不足だ。もっと緊急な支出が必要とされる分野が他にあるのだといわれている。確かに財源は不足している。他の分野への支出も欠かせないだろう。
  だが、日系人立ち退き補償には<国家の体面>がかかっている。この大きな過ちはすでに引き起こされているのだ。しかも、補償は遅れに遅れている。結局は、公正に補償することは避けることができないにもかかわらず―。
  戦時には日系人の強制収用を支持した『ロサンジェルス・タイムズ』が今日、米国を代表する新聞の一つとして数えられるようになっている理由が、この社説の真摯な論調から知れる。
  レーガン大統領が立ち退き補償法に署名したのは昨年八月十日。同法成立からすでに一年が過ぎている。

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