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1989年8月21日

“のぞき雑誌”


  「アメリカでも来春から『ザ・ナショナル』という全国的なスポーツ紙を発行しようという計画がある。これはかなりの冒険だろう。なにしろ、アメリカ人の大半は車で通勤するから、駅のキオスクは数えるほどしかないし、新聞消費量は世界で十一番目と低い。彼らがどうやって読者の関心を引くかが見ものだ。日本のスポーツ紙をまねて、派手な見出しで読者の目を引くつもりだろうか。記事の内容を“創作”するつもりだろうか」と皮肉たっぷりに『週刊朝日』(八月二十五日号)に書いたのは、日米のプロ野球を比較・論評した本『菊とバット』の著者、ロバート・ホワイティング氏だ。
  ホワイティング氏はこのあと、「ウーン。このビジネスはかなり難しいと思う。アメリカの法律は、日本よりも名誉棄損や真実の報道に関してはるかにやかましい」と述べて、『ザ・ナショナル』がスポーツ報道に関して日本式手法を採用することはあるまいと結論づけている。
  「何年か前、日本でサラリーマンをしていたことがある」ホワイティング氏が知っている日本のスポーツ新聞の特徴は「編集者の私見をはさみすぎるし、あまりにセンセーショナルに書きすぎる」というものだった。

  宇野首相の元芸者とのスキャンダルが暴露されたことも原因の一つとなって、参院選で自民党が惨敗し、当の首相が退陣を迫られたことから、このスキャンダルを最初に報じた日本の週刊誌とその周辺文化に対する関心が高まっている。
  『ニューヨーク・タイムズ』は十七日の国際欄で、日本の週刊誌とその報道ぶりを取り上げていた。
  宇野氏との関係を明らかにする話を最初は新聞社二社に持ち込んでまともに相手にされなかった元芸者が次に声をかけたのは「よくできてはいるが、深みがなくて、センセーションばかりを狙う、礼を知らない」週刊誌だった―と『タイムズ』は書いている。話を持ち込まれ、これを記事にした『サンデー毎日』の編集長は、新聞が取り合わなかった理由として、話の内容が新聞向きだと新聞社が思わなかったこと、政界からの圧力を新聞社が心配したことの二点を挙げたあと、「われわれ(週刊誌)にはそんなことは問題ではなかった」と述べている。
  その判断の結果、週刊誌のページを飾ることになった宇野首相の愛人問題は思わぬ反響をよんだ。「従来は“のぞき雑誌”としかみなされていなかった週刊誌が行った公人の私生活に関する報道が、政治問題としてこれほど注目されたことはかつてなかった」と『タイムズ』は述べている。「日本では従来、金持ちや有名人のみだらなゴシップを読みたい者が週刊誌を読んでいた。名誉棄損に関する法律が比較的に甘いこともあって、根拠がないからといってゴシップ報道を憂慮する者もいなかった」
  新聞は違っていた。ある大新聞の編集者は「新聞は、政治家のことは腰から上だけカバーすればいいと考えている」と証言しているそうだ。週刊誌『サンデー毎日』の報道はこの間隙を突いたものだった。そして、記事は、首相を退陣に追い込むほどの大きな影響力を示した。

  “のぞき報道”がその役割とみなされていた日本の週刊誌に何事か変化が生じたのだろうか。
  国民が“政治家の腰から下”の倫理も問題にする新しい時代を週刊誌は切り開いたのだろうか。切り開いたとすれば、今度は、週刊誌自身の報道倫理にも国民の目があつまることになるのだが―。

  少なくとも米国では、日本の報道について、その内容だけではなく、媒体の質までが問われる時代に入っていることを『タイムズ』の記事から知った。

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