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1989年8月28日

「眠れ蜜」


  「舞台というものは不思議だ。―上手くいったとき、それは日常生活では味わえない蜜の味に包まれた時間が過ごせる。舞台で出会った男たちの、あの味が忘れられず、私は自分の本当の生活が味気ないものになってしまっているのではないかと、恨めしく思うこともある。現実より嘘の世界の方が、喜びが深い。―あの気分さえ知らなかったならば、私は、私の側にいてくれる男に、もっと優しく、もっと感謝して、静かに寄り添っていられるのに…」などという甘い述懐にひかれて、女優、吉行和子さんのエッセイ集『男はみんなハムレット』を買った。
  引用した吉行さんの言葉に、舞台女優の“業”を見るもよし、男に寄せる女の深い願望の一端を感じるもよし―。


吉行和子さん
(From:www.shinfujin.gr.jp/news/2002/5-9.html)

  この本の中で、少し懐かしい人の名前に出会った。
  子供のころにムンクの『叫び』という絵を見て「気に入ってしまった」吉行さんが、のちに女優となり、『世界名画の旅』というテレビ番組でムンクの生地を訪ねる仕事を引き受けたときの担当ディレクターとして紹介されている岩佐寿弥さんがその人だ。かつて『眠れ蜜』というドキュメンタリ風の映画でも吉行さんが一緒に仕事をした人でもある。

  岩佐さんが懐かしいというのは、この映画『眠れ蜜』を通してのことだ。
  『眠れ蜜』は第一部が、つかこうへい劇団にいたことがある根岸としえさん、第二部が吉行さん、第三部が、むかし中原中也や小林秀雄と交渉があったという実在の女性を中心にすえて、それぞれの世代の“女”を演じ、語ってもらおうという実験的な映画だった。
  現代詩の佐々木幹朗さんが脚本を書き、岩佐さんが監督し、自主上映形式で日本各地で上映会を催した。一九七五年ごろだったと思う。
  映画制作過程で、岩佐さんや佐々木さんの話を聞いたり、福岡の自主上映会のあと岩佐さんに自宅に泊まってもらったりすることになったのは、この映画のプロデューサーを務めたのが、筆者の最も敬愛する友人の一人だったからだ。
  「プロデューサーとは名ばかり。実は製作費集めだけが仕事」と言いながら、この友人は『眠れ蜜』にかける夢を、折りにふれては語り聞かせてくれたものだった。
  吉行さんの本の中の岩佐さんの名前を懐かしい思いで見たのは、この友人の当時の姿を重ね合わせて思い出したからにほかならない。
  大学を離れ、数年間のサラリーマン暮らしを経たあとで加わることになった映画製作は、この友人にとって、“安保”の年、一九七〇年を挟む数年間を学生として過ごした自分への鎮魂歌を創り上げる作業を意味していたようだった。
  友人は、吉行さんの表現を借りれば「現実より嘘の世界の方が、喜びが深い」ことを知りつくしたような男だった。しだいに“生活者”としての暮らしに身を沈めていく自分を、もう一度だけ「嘘の世界」に引き戻すには、映画『眠れ蜜』のプロデューサーとしての仕事は願ってもない類のものだったろう。
  この映画のことを語るときの友人の声は、そう思わせるに十分な熱っぽさを持っていた。―時代の方にもまだ、友人のそんな熱を受けとめる余裕が残っていた。

  あれから十五年ほどが過ぎている。
  周囲に“いい男”が少なくなった。
  『眠れ蜜』はほとんど一般に知られることがないまま、次の時代の影に静かにおおいこまれていった。岩佐さんとは、その後一度も会っていない。

  吉行さんはこの本の中で「ずっといい気分なんてことがこの現実にあるはずがないのだからもう諦めよう」と自分に訴えかけている。
  友人が当時、十三歳も年上のこの女優のことを「成熟しているのか、いないのか、とらえにくい奇妙な人だ」と評していたのを思い出す。
  そういえば、“いい女”ともあまり出会わなくなった。

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