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1989年9月11日

首相の指導力


  『ロサンジェルス・タイムズ』の東京特派員カール・ショーエンバーガー記者は、訪米した海部首相の同行記者団に加わってかなりの失望感を味わったようだ。5日づけの同紙に掲載された同記者の記事はどこか皮肉な調子でまとめられていた。

  「国内の政治的混迷の中で、五月以来三人目の首相となってまだ一か月にもならない海部氏は、具体的な方策、政治的提案という点では、何一つ新味を見せなかった」という、どちらかといえば直截的な指摘もそうだったし、サンフランシスコのフェアモント・ホテルで開かれた晩餐会に七十五ドルを払って出席した日系企業の米国人重役の感想として紹介された海部評にも、その調子が感じられた。この重役は、晩餐会での首相の演説に触れ、「派手な表現だったように聞こえたが、日米間の貿易摩擦に言及した首相が、問題解決のために自ら先頭に立とうとしているようには見えなかったのには驚いた」と同記者に語ったそうだ。


海部俊樹首相
(From:http://www.jimin.jp/jimin/jimin/ayumi/ayumi.html)

  ショエンバーガー記者はまた、「海部首相の訪米の重要目的は、歴代首相と同様に<貿易問題解決のためには日米双方が努力するとともに、日本側は従来どおりに輸入拡大を行っていく>との決まり文句を伝えることだったのだろう」とも書いている。
  だが、同記者によると、海部首相が「新味を見せなかった」のは、首相自身のせいではない。「日本の首相というのはこの四十年間、自民党内の意見調整者であればよかった」し、「日本の内外政策は、その変化の時期と方向を官僚機関が決定してきた」のだから、というわけだ。
  実際、日本の産業経済の構造問題に関して、具体的対応策を来春までに明らかにするよう米側に求められた首相は「日米両国が努力すべき問題だ」と指摘しただけで、他にどんな約束もできなかった。

  同じ五日の『朝日新聞』には次のような記事があった。
  「首相は日米関係の懸案に“一生懸命”に取り組む、といういい方を何度もしたという。あまりに、そんないい方をするので、<首相の指導力で具体的に何らか実現させる、と米側に信じさせかねない>と日本側に危ぶむむきもある」というものだ。ショーエンバーガー記者の指摘を裏づけ、日本政治の隠微な一面をよく描き出しているエピソードだ。そして記事は「もし海部首相の“一生懸命”が裏目に出れば、結果的にリップサービスとなって、首相の指導力に疑いを抱かせることになる」とつづいている。
  奇妙な書き方の記事だ。なぜだろう?
  来春までに具体的対策を示すのは不可能との見解に記者自身が染まり、首相の表面的な体面の維持に加担しているように読めてしまうからだ。
  この記事からは、『朝日』の記者が日本の政治を熟知していることはよく分かる。だが、日米関係の将来に関する記者の視点はまったく見えてこない。
  普通に考えれば、日米関係の改善のために首相が“一生懸命”になるのは当然すぎるぐらいなのだが、この記事ではその“一生懸命”が“裏目”に出ることが自明であるかのように書かれている。自民党と官僚による政治をあまりにも固定・肯定的に見すぎているのではなかろうか。
  本当に“一生懸命”に努力したにもかかわらず何も実現できなかったといって一首相の指導力が疑われるぐらいのことは、日本全体としては致命的なことではない。人材を他に求めればすむことだ。
  恐れなければならないのは、例えば首相の“一生懸命”発言を寄ってたかって否定しにかかる日本の政治構造をいつまでも改められないことだ。そこで疑われるのは、もう一首相の指導力ではなく、日本全体の信用度だからだ。

  日本の事情に詳しい日本の記者の方が日本の現状を的確に把握しているとは限らないようだ。

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