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1989年9月27日

<ブラック・レイン>


  封切り日の夜、住まいの近くの映画館で、マイケル・ダグラス、アンディー・ガルシア、高倉健、松田優作らが共演する映画<ブラック・レイン>を観た。
  夜十時半からのショーは二十代を中心にした若い客でほぼ満席という盛況ぶりで、娯楽大作がつづいた夏の映画シーズンが一段落したあとに公開されたこの映画への期待の大きさを表していると見えた。


(From:http://www.kinopolis.de/filminfo/b/blackrain.html)<>br>
  ストーリー展開は単純だ。ニューヨークで殺人事件を起こした犯人(松田)を大阪に護送したダグラスとガルシアの刑事二人がヤクザ一味に犯人を奪取される。二人は大阪府警に、一人の警部補(高倉)を見張り役としてつけられ、お役所的形式主義に阻まれながらも、再逮捕に意欲を燃やす。ガルシアが松田に殺されて、ダグラス刑事の執念はますます高まる。

  『USAトゥデー』(二十二日)は「初めにダグラスがオートバイ・レースをやる場面を観れば、クライマックスがどんなものになるかが分かる」映画だと解説している。一方、『ロサンジェルス・タイムズ』(二十二日)は「クリント・イーストウッドが非情な警官となって、逃げた犯人をニューヨークで追いかける映画<クーガンズ・ブラック>(一九六八年製作)にヤクザ映画の味をつけたもの」と評している。
  だが、この映画に対する二紙の評価は低いわけではない。『トゥデー』は監督リッドリー・スコットを、最先端の水準の映画作家としたうえで、<ブラック・レイン>を「最も意欲的な、映画らしい映画」「絶対に映画館で観るべき映画」だとしているし、『タイムズ』の方も、ダグラスがスターとしての自信に満ちて刑事を演じていると特筆、<ダイ・ハード>などと同様の「光沢のある高級な新型都会派スリラー映画」となっている、と書いている。

  両氏がともにほめているのが高倉健の演技だ。『トゥデー』は「(出演者の)中でも最高だ」との言葉を献じているし、『タイムズ』も「威厳を保ちながら抑制の効いた演技だ」と述べている。
  殺人犯人を演じた松田優作は、他の刑事映画の犯人役がそうであるように、誇張が過ぎた演技を求められて損をしたようだ。組織内での認知と昇進を求めて“親分”に反抗する若手ヤクザが、単に狂気の殺人者に見えては、やはり興ざめがしてしまう。

  観客から笑いが洩れた個所がいくつかあった。普段は英語を理解する高倉警部補がダグラス刑事に汚い言葉で悪態をつかれても意味が分からず、「何と言ったのか」と尋ねる場面がその一つだ。ヤクザ同士が交渉の場とした溶鉱炉のある大工場で、制服姿の労働者の大群が自転車で移動する場面もそうだ。好ましい笑いだとは日本人には聞こえないかもしれない。

  あらすじ自体に、大阪府警とダグラス刑事との関係を、現在の日米貿易摩擦と重ねて観させるところがある。追われる側が日本人だというだけで、“経済大国”日本を悪者にして米国人が溜飲を下げる映画だと誤解してこの映画を観に行く者がいては、と老婆心を見せたのではあるまいが、『タイムズ』はわざわざ、<ブラック・レイン>は反日映画ではない、との一行を評の中に差し挟んでいる。
  『トゥデー』が映画の中の大阪を「ほとんどサイエンス・フィクションのように未来めいて見える」と紹介しているのも、スコット監督がこの大都市を“ハイテク日本”の象徴として観客に見せたかったのだ、と受け取ったからに違いない。

  この映画が“フジヤマ・ゲイシャ”式の従来の対日固定観念を“ハイテク・ヘイサシャカイ”に変えただけのものでないことは明らかだが、一般の観客がそうした固定観念から自由になっているかどうかは、封切り日の観客の反応からは、はっきりしなかった。

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