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1989年10月30日

言葉の戦争


  話題の人、<ソニー>の盛田会長が二十五日記に者会見を行い、同社による<コロンビア映画>買収の件について、「今は静かに時を過ごすのがいい。(<コロンビア>を)良い会社にするのが一番だ」と述べ、今後は「経営実績」で買収批判にこたえていくとの考えを示したそうだ。
  <時事通信>が伝えるところでは、盛田会長は「不徳のいたすところとはこういうことを言うのだろう」と恐縮して見せたあと一転し、「米国全体の感情が悪いとは思わない。ブッシュ大統領もヒルズUSTR(通商代表部)代表も、前日あったレーガン前大統領も問題ないと言っている」と強気の姿勢も見せたという。<ソニー>は日本批判の映画は作らないだろうとの憶測については「われわれは製作には口を出さない」と明言し、「ともかくコロンビアがいい映画を作れば、よりよい輸出産業になり、米国の国益とも合致するはず」と意気軒昂だったらしい。

  日米間に“言葉の戦争”が始まった、と言い出した人がいる。『ロサンジェルス・タイムズ』のカール・ショーエンバーガー記者だ。
  前の戦争のときの銃弾に代わって両国間に飛び交っている“言葉”が、<かみ合わない意見><ゆがんだ認識><波立ってしまった感情>などという形の“戦災”をあちこちに築き上げているというわけだ。
  そして、同記者の記事には、盛田会長と国会議員・石原新太郎氏の本『「NO」と言える日本』が“言葉”の銃弾の一例として取り上げられている。
  同記者は、石原氏の「両国貿易摩擦の背後には“人種偏見”がある」との意見に盛田会長が同調して“感情論”に火をつけたと見ている。冷戦初期にソ連が打ち上げた人工衛星スプートニクスで米国人が受けたショックになぞらえて、<ソニー>による<コロンビア映画>買収を週刊誌『ニューズ・ウィーク』が<ソニー・ショック>と呼んだのには、そういう背景があったからだという。
  一方、アマコスト駐日米大使は、日米関係に触れる記事や論説の中に「攻防作戦」「第一線」「攻撃」「反撃」などの言葉が頻繁に使用されることに不満を表明、「外国人読者は日本がまるで武装された要塞であるかのように思わされる」と指摘し、言い換えはできないものかと提言している。
  『アトランティック』の論説員ジェイムズ・ファロー氏が雑誌『中央公論』七月号で日本の“封じ込め”を主張し、経団連の中川理事が同誌八月号で、ファロー氏の説を“こじつけの経済学”だと批判したのも“言葉の戦争”の一部だとショーエンバーガー記者は言う。
  こうした状態について『USAニュース・アンド・ワールドレポート』誌のマイク・サープ氏は「一九八九年は、つづく十年のうちに米国が日本を失い、両国関係が戻ることのできない下降を開始した年として思い出されることになるかもしれない」と警告している。―一部日米関係専門家の危機感の深さがうかがい知れる。

  「経営実績で批判にこたえていく」との盛田会長の発言は「<ソニー>は今まで米国人を雇ってうまく経営してきた」という自信に裏づけられているという。だが、「コロンビアがいい映画を作れば、よりよい輸出産業になり、米国の国益とも合致する」との思い込みは、それでいいのだろうか。
  この論理が、<日本がいい政治を行えば、先方国民のためにもなる>と公言しながら、相手の事情や感情を無視して、欲しいままに東・東南アジア諸国侵略をつづけた日本帝国のものに似ているところが、どうも気になって仕方がない。

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