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1990年1月4日

悠久の…


  暮れの仕事納めの夜、ある友人に「今度の休みにはロングドライブに出かけないのか」と、いささか詰る調子で尋ねられた。その一言で気が変わった。
  グランドキャニオンに行ってみる気になった。

  二年前の十二月三十日から翌日にかけては、砂漠が見たいとの思いに駆られて東へ向かい、とうとうフィニックスまで行ってしまった。
  昨年は元日から、どうという当てもなく、サンフランシスコまで上っていた。
  二度とも、戻ったあと、冬の道を一人で車を走らせる旅の感想をあれこれ聞いてもらっていたからに違いない、その友人は「今度の正月休みは近場でゴルフでも」というわたしの心積もりを聞いて、いささか落胆したような表情を見せたのだった。

  フリーウェイ40のニードルズまでの道なら、九月の連休に走っていた。そのときは、95を北に向かって少し上がり、東に折れて、結局、振興の小ギャンブル町、ラフリンをのぞいた。コロラド川に沿って南に下り、ロンドン・ブリッジのほとりで一休みしたりもした。内陸部で見る豊かな川の流れ。水遊びする人びとの歓声が、照りつける強い日差しの中から輝きながら聞こえてきた―。

  ほぼ四か月後。冬の旅では、すれちがう人びとの姿が捉えにくい気がする。人がみな身をかがめ急ぎ足で行き過ぎるためか、それともこちらの視線が人にではなく、枯れた自然のたたずまいの方に引きつけられてしまうためかは、分からない。
  フラッグスタッフまでほぼ一二〇マイルという辺りから、道路の両脇の牧草地に雪が見え始めた。海抜六〇〇〇フィート、五〇〇〇フィートなどと記された標識をいくどか交互に見たと思う。
  長い坂道を登りつめるごとに、積雪が深さを増していった。青く澄み渡った空と太陽の光を映した雪がまぶしかった。
  グランドキャニオンへと向かう64号線との分岐点、ウィリアムズの町はすっかり雪に覆われていた。レストランの軒先に垂れる長い氷柱(つらら)の先が、傾きかけた日に光り、早朝からの長いドライブの疲れを忘れさせてくれた。
  この町から北へおよそ一時間走り、観光地グランドキャニオンの足元の町といった風情のトゥサヤンに宿をとった。ロサンジェルスから約七時間半。ひんやりとした空気が夕暮れの色に染まり始めていた。

  一九八九年の最後の日没はホピ・ポイントで見た。海抜七〇四三フィート、二一四七メートル。雄大に横たわる地平線の向こうに、太陽は思いのほかゆっくりと沈んでいった。
  残照はなかった。朱色に焼けていく雲もなかった。大地と空の色がゆったりと消えていった。


グランドキャニオン
(From:: http://hugocool.twoday.net/images/topics/usa/)

  世界で劇的な事件が相次いだ年の最後の太陽は、地上の人間の動き、喜怒哀楽などとは無関係に、淡々と沈んでいった。
  「悠久の変わらぬ営み」などという平凡な感慨を覚えた。その平凡さに素直に浸った。
  いくどか谷底に目をやり、西の空を眺めた。峡谷が底の方から徐々に暗さを増していくにつれ、残雪の上を這うように吹き上げてくる風に冷たさが加わっていった。

  翌朝、一九九〇年の初日の出をマザー・ポイントで眺めた。峡谷の崖ふちの木立の向こうに上がる太陽を見ながら、奇妙な充実感の中で、改めて「ここもまた初めての地…」と思った。

  新しい何かが見たいと心急かされた気分になることがある。
  仕事納めの夜、友人の言葉でたちまち気を変えたのも、そんな下地があったからなのだろう。

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