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1990年1月22日

暮らしの質


  ある国が一年間でつくりだした財とサービスの価値額から、それをつくるのに必要だった原材料額を差し引いたものを<国民総生産(GNP)>という。一国の経済の大きさを測る指標として使われる。それを国民数で割ったものが<一人当たりのGNP>だ。

  世界銀行が先月十五日、一九八九年<アトラス>を発表して、八八年の国別<一人当たりのGNP>が明らかになった。
  ベスト・スリーは、一位がスイス:二七、二六〇ドル(八七年は二一、三一〇ドル)、二位が日本:二一、040ドル(一五、八四〇ドル)、三位がノルウェー:二〇、〇二〇ドル(一七、四五〇ドル)となっていた。
  米国は四位で、一九、七八〇ドル(一八、五八〇ドル)、スウェーデンが五位だった。
  ちなみに、西独は七位、フランスは十位だった。

  各国民の生活水準を比較するのは容易ではないが、近似的な尺度としては<一人当たりの国民所得>が使われることが多い。日本の場合、<国民所得>はおおかた<国民総生産>の八〇%程度だから、八八年の<一人当たりの国民所得>は一六、八〇〇ドル程度だったとみられる。この数字は、米国の六七%、八、八五一ドルだった八五年の水準からは飛躍的に向上しているが、その間に為替レートが円高方向へ大きく動いていることから、日本人の生活水準の向上をそのまま反映したものとは思われていない。

  「日本人は裕福かもしれないが、暮らしの質について満足しているだろうか」と、経済紙『ウォールストリート・ジャーナル』(九日)が疑問を呈していた。アーバン・レーナー記者が日本から伝えた記事だ。
  その中で同記者は「日本人は世界の経済・技術の震源地としての地位に満足しているものの、高い住宅費から社会的調和の強制にいたるまで、生活の多くの面で不満を覚えている」と述べ、「日本人が自国に対し、自己満足と欲求不満の二つの思いを同時に抱いている」ことを強調している。

  レーナー記者によると、日本人は「外国旅行に出る機会が増えるにつれ、同じ収入でほかの国なら可能な暮らしが日本ではできないことに気づき始めている」という。
  同記者によれば、土地・住宅はもちろん、日本の物価の高さは米国の比ではない。労働時間の長さについても不満は高まっている。米国と西独の平均的工場労働者の労働時間は、一週間当たり、それぞれ三八・四時間、三五・六時間。それに対し、日本は四三・七時間も働いていることが明らかになっている。総理府が国内で実施した世論調査では「次の世紀には労働時間が大幅に縮小される」という回答が多かったという。
  また、日本の大学生が最も好む職業のリストでは、建築家、広告コピーライターなど、創造性を必要とし、ある程度の独立性が保証される仕事が上位を占めている。これは<社会的調和の強制>を嫌い、表現の自由を好む日本人が増加していることを示しているのかもしれない。政治機構が国民の声を聞き入れない仕組みになっていることに対する不満も高まってきている―。

  国の経済力と国民の生活実感とのズレが日本で拡大している。
  一九九〇年代の日本の重要な目標がそのズレを埋め合わせることにあるのは間違いない。しだいに世界が見えるようになってきた日本人が次の世紀も<一等国の二等国民>としての暮らしに甘んじているとは考えにくい。
  国民の暮らしの質をダンピングして外国で荒稼ぎしている日本、などという非難は聞きたくないものだ。

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