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1990年2月26日

協議再開


  第三十九回衆議院総選挙は、選挙前公認候補百七十五人、その後の追加公認候補十一人、計二百八十六人の安定議席を獲得した自民党が、数字の上では勝利を収めた。
  野党側は、公認候補だけで解散時を五十三議席も上回る百三十六議席を得た社会党が独り大躍進を果たした。
  「自民党の安定多数と社会党の躍進―この一見矛盾した総選挙の結果は、一方で経済活動と生活の安定をを望みつつ、同時にこれまでの政治に満足せず、改革を求める民意をそのまま示したものといえよう」(朝日新聞社説、二十日)というところが平均的な選挙分析だと思われる。

  ただ、自民党は、現実としては、解散時の二百九十五席から九議席を減らしており、あくまでも“逆風下での”という限定つき勝利だったにすぎないし、社会党にしても、かつての水準に回復しただけといえなくもない。その意味からは、今回の選挙は<勝利者なき選挙>と呼ぶのがもっともふさわしいのかもしれない。

  「『自民党の大勝で日本の対米譲歩への期待が米国内で高まろう』。米政府筋は選挙後こう語り、自民党政権の安定化で米国の対日姿勢が一段と強硬になることを示唆した」と『時事通信』が伝えてきた。また、『ニューヨーク・タイムズ』は十九日、「日本の選挙と米国」という記事を掲載、今後「貿易問題で風圧が強まろう」との見方を示した。二十日には『ウォールストリート・ジャーナル』が「米国と日本の貿易交渉担当者がむきだしのこぶしを合わせあう準備をしている―米日貿易戦争の停戦が間もなく終わる」と書いていた。

  今回の選挙で自民党の勝利に最も貢献したのは、ほかでもない、米国の政府と議会だ。
  「自民党は当初、『資本主義か、社会主義か』というイデオロギー的狙いで体制の選択を持ちかけた」(『朝日』)が、社会党にも投票することで、有権者はそれに乗らなかった。野党側が持ち出した消費税論議については、反対論を補強する財源案の提出に失敗した野党が、全体としては、冷ややかな反応を国民から見せつけられることとなった。

  争点の一つをこの選挙から隠し、“無風”状態をいっそうおし進めたのが米国政府・議会の<対日圧力の自粛>だった。昨年の参院選につづいて衆院でも保革逆転が起こることを恐れた米側は、選挙が近づくと、自民党による安定政権の継続を第一にして、貿易・通商問題での日本への圧力を弱めた。米側からの強い圧力を前にして右往左往する姿を国民に見せずにすんだ自民党は、大方の予想を超える踏ん張りを見せた。米国にとっては、狙い通りの成果が上がったわけだ。
  だから、秋の中間選挙をひかえた米国が一部国内世論を背景に今後、安定多数を占めた自民党政権を相手に、市場開放などを求める対日圧力を強めるというのは、いわば“筋書き通り”だ。今回の衆院選の勝利者は実は米国の政府と議会だった―と言っても決して言い過ぎではないだろう。

  二十二日、二十三日に日米構造問題協議の第三回会合が東京で行われた。米側は、公共事業費の増加や独占禁止法の改正、大規模小売店法の撤廃などを日本に強く迫った。松永通産相は「日米摩擦解消は選挙後の重要課題」と述べ、いちおう米側の攻勢を受けて立つ構えを見せているが、具体的な対応は容易ではなさそうだ。

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