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1990年4月2日

自民社会主義


  三月初めごろ、数週間ロサンジェルスに滞在し次の作品のための取材活動をされていた作家の大野芳(かおる)さんとゆっくり話す機会があった。
  ウィルシャー通りに面したレストランでフィリピン料理を食べながらの会話は、話題の幅も広がり、なかなか楽しいものだった。基本的には、自分とは異なる相手の考えを、互いがおおいに興味深く聞くという形の会話だったが、中で一点だけ、二人の意見がみょうに一致したところがあった。理由はそれぞれだったものの、二人がともに「日本の政治はまるで“社会主義”みたいだ」と考えてのだ。大野さんが「あまりにも高いあの相続税をごらんなさいよ。三代目は無一文というのはひどいですよ」と言い、こちらが官僚主導の排外的な政策決定過程を取り上げて、やはり「ひどいものです」と応じるといった具合だった。

  <自由民主党>と名乗っている日本の政権政党が採用している経済政策は、実は、国家・官僚機構による<管理計画経済>だといえる。官僚機構が産業界の要求に耳を傾け、自ら時代煮の先を読みながら将来への青写真を描くばかりか、国内基盤の整備を指導、監督し、産業界内部の意見や利害の調整を行い、最終的には国家経済全体を一つの方向に導いていく―。このやり方以上に“社会主義”的な社会主義は、ソ連はもとより、この地球上のどこにも実在したことはなかったのではないだろうか。

  日米構造協議で焦点の一つとなっている<大規模小売店舗法>(大店法)は、一九三七年に成立した<百貨店法>の流れをくむものだ。この法が数度の改正を経て七五年、五〇〇平方メートル以上を<大規模店>とする現行法となった。主な狙いは、大規模店の店舗拡大を事実上許可制の下に置きながら、地方中小小売店を保護することにあった。<わが町の商店街を守れ>といったスローガンが作りだした法律であるため、経済の<自由競争の原則>などの理念は、中小商店主が高く掲げた旗の向こうに遠く霞むものとなっている。

  アマコスト駐日米大使が二十六日、『朝日新聞』の記者と会見し、日米関係について発言している。同大使によると、<大店法>は「新聞では連日、日本企業による米デパート、小売チェーンの買収が報じられているのに、米企業は、同じことが、たとえ日本企業と提携しても、できない。進出許可の回答を得るだけに二年近くも待たされる」という規則だ。「この状態はどんな米国民にも不公平に映るし、議会や世論も納得しない」というわけだ。

  今月上旬、四日にも発表される構造協議の<中間評価>をどうまとめるかをめぐり、自民党内の調整作業がつづいている。先月二十七日現在の同党の状況を『朝日新聞』は「経済制度や商習慣など、日米の間にはまさに構造的ともいえるような、一朝一夕には改めようがない仕組みの違いが数多くあり、米国の要求には直ちに応じかねるとの主張が目立った」と伝えている。

  「少なくとも、自由経済を標榜する自民党が現在の管理経済政策を採りつづけるのは、いささか“卑怯”というものではないでしょうか」というこちらの問いかけに大野さんが賛意を示されたかどうかの記憶ははっきりしないが、その“卑怯さ”が対日交渉に当たる米側担当者や米議会の苛立ちを大きくしているのだとの見方を変更する理由はまだ見つかっていない。
  大野芳:一九四一年、愛知県生まれ。元雑誌記者。「北針」(潮出版社)で第一回<潮ノンフィクション賞>特別賞受賞。昨年十月、「ハンガリア舞曲をもう一度」(講談社)を出版。
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