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1990年4月27日

“米国人の傲慢”


  二十日の『朝日新聞』によると、自民党の小沢幹事長が十九日に講演を行い「アメリカン・デモクラシーだけが絶対の正義だという考えは通用しない。米国人の独善と傲慢は直してもらわないといけない」と語ったそうだ。小沢氏は同時に、日本自身のことについて「米国に『ノー』と言うためには、『イエス』と言ったことは実行しなければならない」と述べ、自身の対米批判が単なる感情的な反発ではないことを強調したという。

  ならば、小沢氏はなぜ「米国人の」と言い切ってしまったのだろう。
  貿易摩擦の中で米国政府や議会、経済界から対日強硬論が数多く出ていることは事実だが、“独善的”でも“傲慢”でもない米国人が米国政財界に一人もいないとは思えない。対日理解に努めようとしている人物を同氏は誰一人知らないのだろうか。知らないとしたら、政権政党である自民党の大番頭としての務めを十分には果たしていないし、知っていながらあえてこの発言を行ったのなら、「感情的な反発ではない」との強調は、にわかには信じられなくなる。
  幹事長としての務めはむしろ、米国政財界の中から対日理会派の人物を探し出し、そうした人物と積極的に接触して摩擦解消策をこうじることにあるのではないか。米国人のすべてが独善的で傲慢であるかのように断じるのは、無責任であり、関係改善への道を自ら閉ざすことにほかならないと思える。

  十七日の『ニューヨーク・タイムズ』が<米国は傲慢な貿易警察官>という社説を掲載していた。小沢幹事長発言の前日のことだ。
  同紙は、何が公正であるかを決める世界の警察だと自らを思っているというようなところにみられる米国を嫌う国があるのは当然のことだ―と指摘している。また、「確かに、他の国々は不公正貿易障壁を設けているが、それは米国も同じだ」と述べ、さらに「圧力の一部は正当化されるだろうし、脅しもいくらかは機能するだろう。だが、そこから上がる利益には限界があり、犠牲は大きい」として、米国内の対日強硬派を戒めている。
  同紙はほかに、「米国の貿易問題というのは主として日本側に責任があるのだ」という誤った前提に対日強硬論は基づいていると断定、報復するとの脅しを繰り返すのは、両国間に必要な相互協調をそこなわせることになるだけだと論じている。
  米国の経済界や政治家については、同紙は「米国の問題を論じるときに、すぐにほかの誰かをスケープゴートにする」と批判、日本が米国の要求をすべてのんでも、米国の対日貿易赤字が大幅削減されることはあるまいとの見方を示している。

  解決を真に願うのなら、米国が抱える問題を真正面から指摘するのに遠慮はいらない。『NYタイムズ』が指摘するように、自国の問題の責任を他に転嫁したがる政治家や経済人も米国には多いのだろうから。
  小沢氏自身が内外の信用を保つためにも<米国側の一部にみられる独善と傲慢さ>と述べるぐらいの謙虚さが必要だったのではないか。「『イエス』と言ったことは実行しなければならない」とのせっかくの決意を色あせたものに見せないためにも。

  『NYタイムズ』は「通商問題をめぐってとげとげしい批判をもう一年間つづけた結果として開放されるわずかな市場よりも、日米間の“善意”の方が重要だ」と述べ、あくまでも双方が善意を前提に問題解決に務めるよう訴えている。

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