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1990年6月13日

長谷川法世のこと


  旧い友人をふと思い出すことがある。
  記憶の中の友人は、わたしとその友人の二人だけに共通する懐かしい“場面”を必ずいくつか背負っており、心の隅に姿を現すときは、いつも決まって<あの場面のあの友人>というふうに、意識の遠い底から駆け上がってくる。

  「博多っ子純情」で漫画家としての地位を築いた長谷川法世の場合にもいくつかの<あの場面>がある。


長谷川法世(2003年)
(From:http://www.nishinippon.co.jp/news/yamakasa/2003/report/0618_1.html)

  長谷川とわたしが卒業した福岡の高校は、県内の他の進学校同様、文化祭や体育祭への生徒の取り組みが熱心なことでも知られていた。中でも体育祭の応援合戦は賑やかで、生徒の家族はもとより、他校の生徒までが見物に来るほどだった。
  体育祭では、一年生から三年生までをクラス単位で縦割りして、全校を四つのグループに分け、競技ごとに代表選手が獲得する点数を総計し、グループの成績として総合点を競い合った。配点で重要なポイントとなっていたのが全員参加の応援合戦だった。各グループがそれぞれ独自に応援歌を創作し、予算や時間が許す範囲内で、三三七拍子で音頭をとるリーダーたちの“衣装”や“振り”も入念に工夫したりもした。
  四つのグループは当日、運動場に特設された四つのスタンドに陣取り、それぞれ趣向を凝らした応援をつづけた。スタンドの背景として描かれる絵がまた“呼び物”となっていた。ベニヤ板数十枚分の大きさになるこの背景の絵は、応援合戦のテーマとグループのセンスを示すものとして、生徒たちに格別に重要視されていたものだった。

  長谷川法世が絵の才能に恵まれていることは多くの生徒に知られていたし、スタンドの背景画では、長谷川のいるわたしたちのグループが他を圧倒することは間違いないと思われていた。
  長谷川がテーマとして選んだのは、映画「ウェストサイド・ストーリー」の有名な一場面、ジョージ・チャキリスが両手を開き、大きく脚を振り上げた、あの瞬間だった。絵心のある生徒たちを指揮し、“躍動”を表現するものとして長谷川が描き上げたこの絵の出来はすばらしいものだった。―質実剛健を校風とする高校の体育祭にはいくらか上品すぎたかもしれないけれども。

  体育祭の余韻がまだ抜けきらないころ、グループの打ち上げ遠足があった。行き先は福岡市の南の小高い山に造られた森林公園だった。
  他の生徒たちがバレーボールなどに興じているあいだ、長谷川は独り、辺りの景色のスケッチに耽っていた。笑顔を絶やさず、どちらかといえば人づき合いがよかった長谷川の別の一面を初めて垣間見たような気がしたものだった。
  そんな長谷川を見ながら、彼が「できれば東京芸大で絵の勉強をしてみたい」と語っていたことを思い出した。景色とスケッチブックに交互に視線を走らせる長谷川の姿がひどく孤独に見えた。その孤独さが、芸術などという、わたしには途方もなく遠く感じられる世界に夢を飛ばすこの高校生には、羨ましいぐらい似合って見えた。

  福岡市の中心、天神の路上で長谷川を見かけたのは数年後のことだ。
  いや、あれは長谷川ではなかったかもしれないと思うことがいまでもある。彼は髪を伸ばすだけ伸ばし、繁華街のビルの外壁のそばで小さな絵などを売っていた。声をかけるには変貌が大きすぎた。彼の姿にもう孤独さは感じなかったが、彼の姿を見ながら胸が締めつけられるような思いがしたのは、森林公園のときとおなじだった。

  高校三年生のときにクラスメイトだった別の友人が先日、突然、福岡から電話をかけてきた。九月にこちらに来るということだった。長谷川のことをふと思い出したのはその夜だった。

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