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1990年7月26日

記者のデスク


  「時代は変わった」と思う機会は案外少なくはない。交通通信手段の進歩に触れて時代の変化を感じることもあれば、病気の治療技術の向上が変化の証と感じることもあろう。
  このごろでは、米国の新聞に日本関係の記事が多いと驚き、改めて時代の移り変わりをそこに読み取る人もいるかもしれない。
  実際、今月初めにテキサス州ヒューストンで開かれた先進国首脳会議に出席した海部首相と日本代表の動きに関する報道もかなりの量に達していたように思う。「昔はこうじゃなかった」という年輩のジャーナリストの声が聞こえる気がする。

  「日本に四千万人の読者を持つ共同通信にさえホワイトハウスは記者用デスクを与えていない」という事実を報じたのは『ウォールストリート・ジャーナル』(五日)だ。同紙は「コスモポリタン(世界に開けている)として自らを誇っている都市(ワシントンDC)が日本のジャーナリストを二級市民扱いしている」と断じている。
  国債を発行する財務省でも日本人記者はデスクを持っていない。「日本は米国国債の三分の一を購入する国であるにもかかわらず」と同紙は言う。

  ワシントンを舞台に取材活動を行なっている日本人ジャーナリストは現在七十九人。ニューヨークには百二十九人が駐在している。この二つの都市のジャーナリスト数は西独が百二十六人、フランスが七十四人、英国が八十九人だから、外国人ジャーナリスト集団としては、日本は最大規模だ。十五年前の最大集団は英国と西独だった。日本のワシントン特派員数は現在の半分程度だったという。

  この記事を書いたカール・ジョンストン記者によると、「かつての日本人記者たちは、外国人特派員に共通して見られるように、米国の新聞記事を翻訳して満足していたものだった」。だが、「いまの日本人記者たちは昔に比べると教育程度が高く、仕事の能力も向上している」。自力の取材が増えたし「執拗な質問をして、政府高官などから問題発言を引き出す、という評判も獲得している。また、特に貿易問題では、ワシントンの米国報道機関を出し抜くこともしばしばだ」。

  ホワイトハウスの<ウェストウィング>にある記者室に空きが出るのを待機しているのは共同通信だけではない。米国内の報道機関で待機リストに名を連ねているところも多い。
  だが、財務省に椅子とデスクを持つ日本の通信社がないというのはどういうものだろう。―ジョンストン記者の呆れ顔が行間に見える気がする。

  ところが、東京で取材活動に従事する米国人記者たちの状況は、実は、もっと悪いそうだ。椅子やデスクどころか「立っている場所」すら与えられないことがあるのだという。日本人記者クラブだけを相手にした政府発表も多い。<ソニー>が<コロンビア映画>買収を発表したときも、外国人記者たちは記者会見場に入ることができなかった。

  最近の世論調査の結果を見る限り、日米両国民の意識の開きは大きくなっている。双方のジャーナリストの前に立ちはだかる障壁が原因の一つとなっているのかもしれない。必要なニュースが高い壁越しにしか取材できないようでは、正確な報道は難しい。

  米国の新聞に多く見られるようになった日本関係の記事が、記者クラブ制などにしばられてゆがんだものになっているのであるなら、「時代は変わった」と感慨に耽ってばかりはいられないし、一方、デスクもない状態で取材させられた米国政府関係の記事が、稀にとはいえ、真意を捉えそこねて日本に伝えられることがあっても、担当記者の責任とばかりは言えない。
  自由な取材を許す努力を日米双方が直ちに開始する必要がある。

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