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1990年8月8日

対イラク制裁


  五日、専用ヘリコプターでキャンプ・デイビッドからホワイトハウスに戻ったブッシュ大統領は、待ち構えていた記者団の質問に答え、クウェートに武力侵攻したイラクへの制裁措置について説明した。その中で注目されたのは、この問題について電話で話し合った各国指導者の二人目として、同大統領が海部首相の名を挙げたことだ。

  最初に挙げられたのはトルコ(のトルグド・オザル大統領)。理由は、イラクで産出される石油の半分以上がトルコ領内に敷設されたパイプラインを通して地中海に運ばれているからだ。イラクの外貨収入はほとんどが石油輸出によるものであるため、仮に米・欧軍がペルシャ湾を封鎖、イラク石油の輸出を阻止した場合、トルコ領内のパイプラインがイラクの最後の“生命線”となることは明らかだ。
  対イラク制裁はまず、対イラク貿易の停止、実質的にはイラクからの石油輸入禁止措置として実現されることになる。制裁に加わらない国が多いなどの理由で効果が上がらないときは、次に、石油輸送路を封鎖することが考えられる。トルコ領内のパイプラインの閉鎖は制裁効果を保つための最も重要な手段の一つとなるわけだ。
  ブッシュ大統領は、パイプラインを閉じるようにとの直接の圧力はオザル大統領にかけていないもようだが、その可能性が打診されたことは間違いないと思われる。

  日本政府は五日、イラク自体とイラクが占領したクウェートからの石油輸入を全面的に禁止した。イラク政府への経済援助も停止することを決めた。六日の『ウォールストリート・ジャーナル』は日本のこの決定を「重たい経済的な賭け」と呼んでいる。この二か国からの輸入量が日本の全石油輸入の一二%に及んでいるため、国内の石油供給に間もなく大きな支障が出るだろうということだけではなく、貿易保険つき商業債券四千三百億円を含めて七千億円(四十六億七千万ドル)に達している対イラク貸付金が焦げつく恐れがあるからだ。
  電話で対応を協議した各国首脳の二番目にブッシュ大統領が海部首相の名を挙げたのは、そうした日本の状況に対する配慮があったためだと思われる。

  『時事通信』によると、海部首相との四日(日本時間)の電話会談でブッシュ大統領は「イラクの行動は許されてはならず、主要国は協調的行動をもって対処することが望ましい」と述べ、日本政府が対イラク経済制裁を行なうよう正式に要請したという。海部首相は「西側諸国が取りつつある措置と同じ視点に立って、可能な手立てをこうずる考えだ」と回答している。

  日本政府は当初、六日か七日に出される国連安全保障理事会の制裁決議を見たあとで日本の対応を決定する方針だったという。だが、ブッシュ大統領の電話を受けて海部首相は「日米協調行動の方が大事」と判断、ただちに制裁措置をとることを決めた。同通信は「日本の取った措置は非常に重要で、世界全体に良いシグナルとなろう」と同大統領が述べたと伝え、「最大級の表現で首相を持ち上げた」と評している。

  経営コンサルタントで評論家の大前研一氏が積極的に<コメ市場開放論>を提唱している。日本の安全保障のためにコメの完全自給は欠かせないとする従来の論に反対し、産業活動の基盤を支える石油を一〇〇%外国に依存している日本の実態を考えれば、コメの分野では譲歩して、石油確保などで日米協調行動をとる方が安全保障戦略としては優れているという論旨だ。
  日本政府の今回の対イラク制裁が、将来の石油安定確保のために実施されることは間違いない。大前氏らの<コメ市場開放論>が現実味をもって受け取られる状況となってきたようだ。

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