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1990年8月20日

コメと大嘗祭


  新たに即位した天皇がその年の新米を神とともに食べる祭祀を大嘗祭と呼ぶそうだ。宮中で毎年十一月二十三日に行われている新嘗祭を大掛かりにしたもので、一代一度、皇室で最も重要な行事とされている。
  ただ、現行憲法の下に制定されている<皇室典範>には「皇位の継承があったとき即位の礼を行う」とだけ記されていて、大嘗祭を行うとは規定されていない。この事実は、現在の政治家の恣意的判断はどうであれ、政治と宗教の分離を原則とする現憲法下では国の儀礼として大嘗祭を行うことはできないとの判断が<典範>制定時にあったことを示している。

  ガット(関税貿易一般協定)の多国間交渉(ウルグアイ・ラウンド)をにらんで日本と米国、欧州共同体(EC)が農業問題で厳しい協議をつづけている。米国とECが特に農業補助金の是非をめぐってかけひきを行うか一方で、日米は日本のコメの自由化問題で議論を闘わせている。
  先にアイルランドで開かれた五か国農相会議でも、日本のコメ問題が協議され、米国のヤイター農務長官は日本のコメ完全自給政策に反対、とりあえず関税の対象とすべきだと主張した。同長官は初年度七〇〇%の関税を承認する意向を示している。

  コメ自由化問題で自民党内が騒がしくなってきた。<部分自由化>を容認する意見が竹下元首相や山口敏夫氏あたりからも出始め、コメ完全自給論を聖域化して日米交渉の対象からも外してしまおうという勢力を少なからず動揺させているということだ。

  自民党がコメ完全自給論に固執するのは<票>のためにほかならない。
  『朝日新聞』(一日)の<経済地球儀>で船橋洋一編集員は「コメ市場の閉鎖性は、農協を圧力団体とする農村、それも最も競争力の弱いコメ農家の利益を過度に選挙・政治過程に注入させることで、都市住民の関心や国際感覚を正当に反映するのを妨げてきた」と述べている。政治評論家の松崎哲久氏はこれを「農村過重代表性」と呼んでいるそうだ。

  首相時代に<世界のナカソネ><ロン‐ヤス関係のナカソネ>として自分の国際性の売り込みに懸命だった中曽根元首相が、一方では、<臣・中曽根康弘>として尊王思想に凝り固まっていたことはよく知られている。
  船橋編集員によると、その元首相が最近、自民党内のコメをめぐる騒ぎについて「どんな形で決着するにしても、大嘗祭まではダメだ。もう少し厳かにこの(コメ)問題を考えなくてはいかん」と語っている。
  この発言は、自ら<臣>と名乗る人物にふさわしいものだとといえる一方、この政治家がどのぐらい国際性と憲法感覚を欠いているかも同時によく証明しているといえる。日米間の最重要課題の一つであるコメ問題を早期解決し、両国間に安定した協力関係を築くことよりも、憲法上、国の行事とすることができない大嘗祭を優先して考えるべきだと主張しているからだ。
  自民党内のもう一つの、そして思いのほか根が深い<コメ聖域論>だ。

  船橋編集委員は同じ記事の中で、十九世紀の英国の小麦輸入自由化を例にとり、「日本も(コメ)自由化の過程で、広範な都市住民、競争力のある農民の発言力基盤に、自由で開かれた国際貿易システムの支柱になることができる」と述べている。

  選挙の際のうたい文句としてだけでなく、国民全体に対する<責任政党>であるとの自覚が本当にあるのなら、自民党が選択する方向は自ずから決まってくるはずだ。

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