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1990年8月30日

教科書書き換え


  次の世代に自国の―あるいは自分たちの―過去の“汚点”を見せまいとして教科書から歴史的事実を取り除こうとするのは、何も日本の自民党に限ったことではないらしい。
  “自分の歴史”を歴史家に書かせようとしなかった独裁者は少なかったろうし、全体主義者が自らの主張に併せて歴史を書き改めようとした例も多かったはずだ。

  ここカリフォルニアにも危険な人物がいる。州議会下院のギル・ファーガソン議員(共和・オレンジ郡)だ。
  ファーガソン下議は第二次大戦下の日系人の強制立ち退きと<転住所>への収容を正当化し、「公立学校で使用される教科書では<日系人の戦時収容は軍事的必要性に迫られたためだ>と教えるべきだ」と主張、教科書書き換え動議を州議会に提出していた。
  二十八日に表決に付された同決議案は六〇対四の大差で否決されたが、同下議の<書き換え>にかける“熱意”は冷める気配がないという。

  二十八日の『ニューヨーク・タイムズ』によると、自ら第二次大戦、さらには朝鮮とベトナムの両戦争に出兵した経験を持つファーガソン下議にこの決議案提出を求めたのは<真珠湾生存者>と、日本軍が一時占領したフィリピンのルソン島で<死の行進>を強いられた<バタアン生存者>の二グループだ。同下議は、二十八日の否決にもかかわらず、第二次大戦で日本軍と戦った経験を持つグループの支持を集めて、同議案を再提出する考えを示している。

  州議会は昨年、カリフォルニアの子供たちには「日系人の戦時収容は軍事的必要からではなく<人種的差別>と<戦時ヒステリー>が原因となって実施されたもの」と教えるべきだとする州法を成立させている。
  これに対してファーガソン下議は、特に、日系人収容施設を<強制収用所>と呼ぶことに反対、<転住所>とでも呼ぶべきだと主張している。<強制収用所>ではナチス・ドイツがユダヤ人を大量虐殺した施設が思い起こされるし、日本軍が被収容者の体を使って細菌戦争の実験を行った中国内の施設とも区別がつかない、と考えるからだ。

  カーター大統領が一九八〇年に設けた<戦時転住・収容に関する連邦委員会>は、日系人の収容には軍事的必要はなく、人種的偏見と戦時ヒステリー、政治的指導上の失敗によって生み出されたものとする結論をまとめている。<転住所>入りを拒否して逮捕された日系人の裁判でも、連邦裁判所は八三年、日系人を命令拒否の罪で有罪とした戦中の判決を覆している。

  ファーガソン下議の動きに抗議する声が日系市民協会(JACL)などから上がっている。同協会サクラメント支部のマイケル・イワヒロ代表は、ファーガソン下議の主張について「強制収用所と呼ぶかどうかの問題は言葉の遊びだ」との考えを示し、施設は現実に「鉄条網があったし、MPが監視していた。中の人間は自由に出入りすることができなかったのだ」と語っている。

  戦時収容された日系人はおよそ十一万人。そのうち七万七千人は米国市民だった。
  ファーガソン下議は、当時市民権を持っていなかった日系人について「真珠湾への攻撃のあと、米国政府がこれらの日系人を敵国人として扱うのは国際法に適っている」と主張、さらに、七万七千人の米国籍の日系人に関しては、そのうちの多くが子供だったと強調、米国に生まれたというだけの米国市民であり、敵国人である親が同行させたいと考えたために収容されたにすぎない、と述べている。

  日本軍による真珠湾攻撃から五十年目に当たる来年に<立ち退き補償法>を撤廃しようという動きが大きくなるのではないと心配する声がある。
  事実は曲げられない。だが、時代の気分がその解釈を変えることがあることは、これまでに何度も経験してきたことだ。
  ファーガソン下議の動きを<州の一議員の票集めのための行為>と軽んじない方がいい。

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