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1988年6月8日

スワップミート



  風の強い週末に、フリーウェイ一五を下ってサンディエゴまでのドライブを楽しんだ。
  アナハイムでサンタアナ・フリーウェイ(五)からリバーサイド・フリーウェイ(九一)に乗り換え、クルマを東へ走らせる。辺りの風景が山道めいてきたころ一五に移り、南東方向へともう一度向きを変える。少し走ると、制限速度が六五マイルに上がる。あとは、丘の斜面にオレンジ畑、牧場、草原などが見え隠れする道を、窓から吹き込む風の冷たさを楽しみながら、ひたすら進めばよかった。丘の切れ目や谷あいを吹きぬける風にときおり少しハンドルをとられることもありはしたが、まずは順調、快適なドライブだった。

  途中、一度だけフリーウェイを降りた。
  レイク・エルシノアの出口の手前で、木立の中に数十の小屋がけ式の店が立ち並んでいるのが見えた。<スワップミート>の看板があった。迷わず、クルマを右車線に寄せた。初めての土地で、見知らぬ人たちに混じって露店を冷やかして歩く−。そんな時の過ごし方も悪くなさそうだった。
  出口のランプを下り、一般道路に出て、一度右に曲がるとすぐに<スワップミート>の駐車場があった。
  五〇セントの入場料を払い、近郊から集まってきたらしい家族連れなどと肩を並べて中に入る。−−少しだけ着飾った子供たちがいた。強風に流される雲のあいだからときおり差す日の光を浴びて、まぶしげに目を細める老人たちがいた。いい商売にありついたのか、妙に上気した表情の青年が、せわしい足取りで人ごみを掻き分けるように歩いていた。少女たちがふざけ合いながら高らかに笑っていた。
  懐かしい気がした。
  昔日本で体験した<祭>の記憶が蘇ってきた。いや、週末ごとに開かれているこのスワップミートに、春秋の農閑期にだけ行われ、人々に季節の節目の到来を知らせた、古い時代の日本の<祭>と同じ“晴れがましさ”を期待することには無理があったが、それでも、南カリフォルニアのいくらか田舎めいた感じの、娯楽もまだ乏しいと思われる小さな町にとって、このスワップミートは、やはり、人々が日常の時間の流れから離れ、心をしばし憩わせることができる一つのイベントには違いないと見えた。


あるスワップミート風景
(From:http://www.rodeodrivein.com/history/index2.htm)

  日本の<祭>の露店が持っていたあの“ほのぼのとしたウサンクササ”、並べられていたまがい物商品のかずかず、その恥ずかしいほどのけばけばしさ、土地の者とは明らかに異なる言葉で述べられる口上の嘘っぽさ。
  一夜明ければ、どう擦りつけても筋目さえつけられないガラス切り、一度使えば折れてしまう万能カン切り、バネがだめになって動かなくなったねじ巻き式のブリキ自動車などが手元に残ることになるのを十分承知したうえで、人々は、この日ばかりは気前良く財布の紐を緩めたものだった。

  手元の辞書によれば、<スワップミート>の意味はこうだ。−(特に手作りの)安い品、不用品、セコハン品の交換(販売)市。

  レイク・エルシノアの露店を冷やかしながら感じた、どこか日本の祭にた“匂い”は、そこに言葉本来の意味での<スワップミート>が残っていることを示していたのだと思う。
  再利用法の見当もつかない電熱器の部品。それぞれ形が異なる数本のソファーの脚。フォルクスワーゲン専用のマフラー一本。振り子のない柱時計。

  ロサンジェルス近辺で開かれている都市型の<スワップミート>ではもう見かけられない“胸がときめくようなイカガワシサ”が、レイク・エルシノアにはまだたっぷりと残っていた。

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