====================


1989年7月20日

後部座席の宰相


  パリで開かれていた「アルシュ・サミット」が十六日、閉幕した。

  司法追及という点では“大事件”には到らなかったものの、日本の政治を長期間にわたって揺るがした<リクルート>スキャンダルの後始末のために登場しながら、自らの“愛人問題”が暴露されて、国内で思わぬ窮地に立たされてしまった宇野首相は、数日間滞在したパリでも、ミッテラン仏大統領との会談がいったん流れてしまったほか、やっと会えたブッシュ大統領との会談もわずか“六分間”(時事通信ほか)に限られてしまうなど、“経済大国”日本の首相としてはずいぶん影が薄い存在で終わってしまった。

  『ロサンジェルス・タイムズ』は十七日、同紙記者二人のパリからの報告を掲載し、「宇野スキャンダルのために、日本はパリで後部座席に座ることになってしまった」というサミット裏話を伝えた。
  この記事によると、「自分を権力の座から落としそうになった“セックス・スキャンダル”から解放されて、歓迎の言葉でも掛けてもらえると思って日本人記者室に入った宇野首相」を待っていたのは、パリでも、「首相に忠実であるはずの記者団からの遠慮のない一撃」だった。最初の質問は「首相、ブッシュ大統領との会談は一瞬でしたし、ミッテラン仏大統領はほとんど会ってくれようともしませんでした。まったく不運でしたね」というものだったという。

  『タイムズ』の二人の記者には、「昨年のトロント・サミットでは経済的巨人として話題の中心だった」日本も、首相がスキャンダルにまみれ、政治的影響力を薄めた今年は「脚を萎えさせた巨人」に見えた。「各国との舞台裏での折衝でもいくつかの譲歩を強いられ、新たな対外経済援助計画も、事実上、報道されることなく終わるなど、無視同様の扱いを受けた」からだ。
  これまで数回サミットに出席した日本政府高官の一人が「「昨年見られた(日本の)影響力はまったく消えてしまったようだ」と述べ、対日評価に大きな変化があったことを認めたほどの“無視”だったそうだ。
  ブッシュ大統領との“六分間会談”は、これほど親密な同盟国の首脳同士のものとしては「異例の短さ」で、宇野首相が「望まれない男」であったことが明らかになったし、ミッテラン大統領も同様に、宇野首相とは申し訳程度に会っただけで「前例のない冷遇」に終始したという。

  両記者が言うには、「さらに重要なことは」ドル相場を適当水準に維持するために必要だとして日本が要求した<より強力な表現>が共同声明から外されたことだ。<インフレの脅威>に関しても、日本が求めた表現に賛同した国はなかった。
  匿名を条件に、ある米国高官は「政府がこうまで弱体化していなかったら、日本はもっと影響力を行使していたはずだ」と述べたそうだ。

  パリでは、「宇野首相は東京に戻ったら間もなく辞任するのではないか」との観測が流れていたらしい。気持ちの上でどう張り切ろうと、宇野首相がこのサミットで“後部座席の宰相”以上の役を果たす可能性はなかったということだ。

  世界政治の現実は、どうやら、日本政府が考えていた以上に厳しかったようだ。たとえ、対外援助額が世界最大の国の首相であろうと、低俗なスキャンダルにまみれ、余命がないことが明らかな人物に、政治的影響力は発揮できない―。
  そういう首相を派遣してしまったことを理由に、国民までが国際社会の“後部座席”に座らせられることがないように願っている。

------------------------------

 〜ホームページに戻る〜