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1989年9月14日

延期の意味


  連邦上院の歳出委員会<商務・公正・国家・司法問題小委員会>が十二日、日系人戦時立ち退き補償の支払い開始時期を、これまでの予定より一年間遅らせる法案をまとめた。
  一九九〇年十月に始まる九一年会計年度から毎年五億ドルを予算化し、三年間で支払いを終了するという内容で、上院本会議がこれを支持し、下院も同意することがほぼ間違いないとみられるため、立ち退き補償の支払い開始が一年間遅れることがほぼ確定した。
  ただ、補償法の規定では<十年間で支払い完了>という条件になっていた支払い期間が、同小委員会案では<三年間>と短縮されており、資格を有する日系人が、全体として、受け取りを終了する時期が早められたことになるほか、支払いがソーシャルセキュリティーやメディケアー同様の扱いを受けることになったため、いったん議会で承認されると、優先支出されることが確実で、二年目からの支払いが間違いないものとなるなど、いわゆる<アメとムチ>の両方を提示する内容となっている。

  昨年八月にレーガン大統領(当時)が署名、発効させた立ち退き補償法では、戦時転住所に収容された日系人で、同法発効時に生存していたおよそ六万人に対し、十年間以内に、一人二万ドルずつが支払われることになっていたが、財源難を理由に上下両院でともに支払いの先送りが検討され、前の下院案では、九〇年度支払い分として、当初の二千万ドルからは増額されたものの、五千万ドルの支払いが承認されただけだった。
  ロバート・マツイ下院議員らとともに補償法の実現を議会で推進してきたノーマン・ミネタ下院議員は十二日、支払い期間の三年間への短縮は評価しながらも、九〇年度には支払いが行われないという同小委員会案を厳しく批判している。両日系議員はまた、前に下院が承認した五千万ドルの補償費をそのまま九〇年度分支払い予算として残すか、または九十歳以上の生存者千三百人への支払金だけは同年度分として確保するよう、予算獲得合戦の最後の二週間である今月いっぱい努力をつづける考えを示しているが、連邦刑務所の拡張などを優先させる考えに傾いている議会を動かすことは難しいとみられている。

  全国紙『USAトゥデイ』は十三日、「戦時収容体験を持つ日系人は“遅れ”に失望している」という見出しをつけた記事を掲載した。同紙はその中で、日系市民協会が政府に対し、七十歳以上の収容体験者一万六千人にただちに総額三億二千万ドルを支払うよう要求していると報じ、つづいて「来年おカネがもらえないことにとてもショックを受けています」というツヤコ・キタシマさん(七一・サンフランシスコ)の言葉、さらには、医療設備のない転住所のバラックの中で卒中に倒れた母親を四か月にわたって世話し、結局は出所後間もなく死なせてしまったというドロシー・コジマさん(七八)のエピソードを紹介していた。「姉妹の一人が六か月前に死にました。怒りの気持ちでいっぱいです。(補償金の)金額は小さくとも、(支払いには)大きな意味があったのです、とコジマさんは語っているという。

  補償金受け取り資格を持つ日系人の中から、高齢者を中心に、毎月二百人が死亡している。
  小東京の日米文化会館前で十二日に行われた集会で、NCRR(日系人立ち退き補償実現連合)南カリフォルニア支部のアレン・ニシオ代表は「日系人が戦後四十年以上かけて得た勝利を悲しみ変えてはならない」と訴えていた。

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