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1990年5月29日

小さな火種


  盧泰愚韓国大統領が訪日し、<天皇のお言葉>問題が一応の決着を見た。「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、帰国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」との表現を韓国側が受け入れたからだ。
  皇居での晩さん会で答辞に立った盧大統領は「過去の過ちを洗い流し、友好協力の新たな時代を開かねばなりません」と述べ、さらに「誠意と信頼に基づいて共に努力すれば(日韓両国の)未来は限りなく明るい」と力説した。
  かなりの紆余曲折があったものの、これを契機に日韓両国は過去に囚われた関係を脱し、未来を志向した新たな関係に入ることになる。

  報道によると、<お言葉>は詰めの段階で「その不幸な過去を思うとき、悲しみと苦しみを痛切に感じます」とする案もあった。一九八四年に全斗煥大統領(当時)が訪日した際の昭和天皇の言葉「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存在したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います」では不十分だとする韓国世論に対応するための文案だった。それが、最終案ではさらに「表現を一歩踏み込み、陛下のお気持ちを率直にお述べになったもの」(『時事通信』)となったという。

  <お言葉>問題をめぐる日本からの報道にはどこかおかしなところがあった。この段階になってもまだ、「陛下のお気持ちを率直にお述べになった」ことが韓国側が納得した原因であるかのように報じているところもそうだ。<陛下のお気持ち>を過度に重視するのは政府や自民党、官僚による<お言葉>遊びを正当化するだけで、真の問題が何であるかを日本国民に知らせる役には立たない。「遺憾」が「痛切に感じます」や「痛惜の念を禁じえません」になっても、日本側の<反省>が深まったということにはならない。日本による侵略、植民地支配を単に「不幸な過去」といってすませようという考えの無責任さ、不誠実さが問われていたのだから。
  韓国側が初めから最も重要視していたのは「過去の出来事に対する責任の主体と謝罪の対象(韓国)が明示されること」(『朝鮮日報』)だった。
  だが、たとえば、『朝日新聞』が<お言葉>の「わが国によってもたらされたこの不幸な時期」という部分を取り上げて、「戦前の植民地支配など『不幸な過去』が日本の責任であることを明確にされた」と報じるまでは、韓国側の<謝罪>要求の真の狙いがどこにあるかを明確に示した報道は少なかった。

  盧大統領との二十四日の会談で海部首相は「朝鮮半島の方々がわが国の行為により、耐え難い苦しみと悲しみを体験したことについて謙虚に反省し、率直におわびの気持ちを申し上げたい」と述べた。<日本の責任>と<謝罪の対象>が明確であるという点では、これは<お言葉>以上だ。
  政府、自民党、官僚の一部に根強かった<謝罪>反対の声を押し切り、日韓関係を未来に向けて開いた海部首相と中山外相には、この時点で、良い評価が与えられるべきだ。

  だが、今回の<決着>が日韓両国に大きな課題を残したことも忘れてはならない。<昭和天皇の責任>問題が避けて通られたことがそれだ。
  日本の報道機関がどちらかといえば<天皇のお気持ち>報道に偏り、<日本の責任>問題を深く追及しなかったのも、<日本の責任>問題が<天皇の責任>問題に波及することを危惧したためにほかならない。
  日韓両国が真の「友好協力の新たな時代」を築くことに失敗するようなことがあれば、両国関係の奥底に残されたこの小さな火種がふたたび勢いを盛り返すことも十分に考えられる。

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